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2017/04/02

教育勅語に上皇に時代錯誤も甚だしい

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→ 郷里の川・神通川富山市というより、富山県のど真ん中を流れる一級河川。若いころ、この土手への道が散歩ルートだった。土手から夕陽を幾度、眺めたことやら。

 遅い朝。何も食べるものが無くて、冷凍庫の中をごそごそ。鍋物の具材が幾つも。もう四月だし、冷凍庫の中を片付けるってことで、即席ラーメンにフやら何やらごちゃごちゃに入れた。見栄えもひどいが、味もひどい。とてもじゃないけど、人には見せられないよ。

 土曜日は、プールは何やら教室があるようで、泳げるレーンが少なそう。なので、今日は外仕事。主に納屋の片付け。ほとんど物置になっている。埃が凄い。1時間半で終えた。知り合いがオートバイやら古タイヤ、除雪機などを置いているので、綺麗には片付けられないのが困る。

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← 野口武彦著『「今昔物語」いまむかし』(文藝春秋) 「平安時代末期の生活をリアルに伝える「今昔物語」。混迷の現代にこそ、その世界観を検証する意味があると考える著者が切り込む」とか。

 野口武彦著の『「今昔物語」いまむかし』を昨日から再読し始めた。
 3年前、書店で<発見>した本。著者も知らない人だった。でも、パラパラ捲って、これはいいと直感。一読して、直感が正しかったことを実感。ほとんど座右のようにして置いてあった。もうあと2年ほどしたら読むつもりだったけど、こらえきれず再読。「源氏物語」を読むかどうか、迷っている最中、源氏の世界とは真逆のえげつなく無情でもある「今昔物語」について、改めて専門家の手を借り、分け入ってみる。

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→ アンズの花が寒空にも健気に咲いている。桜と桃と梅などを一気に眺めているような晴れやかさ。

 源氏物語が雅で高飛車な、和歌の世界なら、今昔物語は、下世話で下衆でえげつない、庶民の現実の世界をこれでもかと示している。この両者が相俟って、平安時代なのだと思う。というか、謎の著者は、敢えて生老病死の悲惨な世界を突きつけているように感じられてならない。なんて、感じ方は現代的過ぎて浅はかなのかな。

 愛の鞭打ち、なんて呟いたが、実はちょうど、本書に鞭打ちの場面が扱われていて、その偶然に驚いていたのだ。男装する若き女性が、むくつけき男を何度も鞭打つ。といっても、よくある下世話なSMの話じゃなく、幻想性漂う物語。今昔物語にこんな話が載っているってことに驚き。というか、本書、つくづく面白い。抜群の書き手だ。

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← ジャスティン・ソネンバーグ/エリカ・ソネンバーグ共著『腸科学』 (鍛原多惠子訳 早川書房) 

 ジャスティン・ソネンバーグ/エリカ・ソネンバーグ共著の『腸科学』を読み始めた。
「腸内細菌を復活させ、健康な人生を過ごすにはどうすればいいのか。そもそも人はいつからどのように細菌と共生し、老いていくのか。微生物学・免疫学の研究者夫妻が、最新研究の成果をわかりやすく解説し、すぐに実践できる生活改善策をアドバイス」ということで、腸内細菌にいい献立を提案するなど、やや実践的な面もある一般向け入門書。
 人間の身体の内外に生きる細菌を巡って、この数年、数々の本を読んできた。本書では、科学的な面はもちろんだが、食事療法もメニュー(献立)が数々示されていて、趣向も違うし、ある意味、総集編というか総括として、関連本の最後の本となる、かも。

 呉座 勇一著の『応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)が依然として売れているようだ。
 本書を読んで、時代の人物像の錯綜ぶりに驚いた人も多いのでは。ただ、戦国時代に限らず、それこそ江戸時代だっていろんな人物群像があったんだろうし、かの明治維新にしても、司馬遼太郎風な英雄ドラマなんて、ホントに小説の話に過ぎないのだと思う。一部の英雄が時代を左右したなんて、単純すぎる。百歩譲って何人かの偉人がいたとしても、それは身分差別が当たり前の時代の話。今の時代に維新を唱えるなんて、時代錯誤も甚だしい。それこそ、傲慢の極み。

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← 呉座勇一著『http://bookmeter.com/b/412102401X">応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』 (中公新書) 拙稿「『応仁の乱』を読んだ」参照。

 時代閉塞と混迷の最中にあって、一部の勢力の専横を許すと、取り返しのつかない、いつか来た道に至ってしまう。森友学園問題は、一部の右翼どもが政治権力を笠に 官僚や役人も趨勢を忖度して、法律を(憲法を解釈改憲したように)違法ギリギリにまで捻じ曲げて、ああいった連中のために便宜を図ろうとする。法律は最後の砦のはずなのに、勝手な解釈と運用が蔓延する現状を憂えずしてどうする。

 実際、明治維新の騒動も終わって、日本各地の知事など多くの政府などの要職を薩長土肥などの元武士どもが席捲した。特に軍隊のトップの愚かさぶりは目も当てられなほど。現実を冷徹に見ることもできず、自分の勝手な絵図で無謀な戦略を立て、身の程知らずな戦いを繰り返し、日清日露の戦勝の真因も度外視し、どんどん戦争の泥沼へ突っ込んでいった。しかも、トップのほとんど誰も責任を回避。驚くのは、そういった時代を飾り立てる連中がのさばって来たという情けない現実。

 教育勅語を学習の素材としては否定しないって、そりゃ、どんな本だって、探せば調書の一つぐらいは見つかるだろう。でも、これは短所がひどすぎる。
 要は、教育勅語の眼目って、天皇中心の上意下達、臣民はただ黙って従い、桜吹雪のように潔く(文句を言わず)死んで行けという発想を再現するってことじゃないか。天皇が退位したら、上皇だって。どこまで愚かな連中なんだろう。時代錯誤どころじゃない愚劣さだ。

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