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2017/03/31

細菌からデュ・モーリアへ水滸伝へ

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← 毎年、春になるとアンズの花が淋しい畑を賑わせてくれる。桜の花に似ているけど、アンズって、バラ科サクラ属の落葉小高木なので、さもあらんである。

 今日もプール通いのはずだったけど、保険屋さんとの話が長引いて、とりやめ。畑仕事に切り替えた。今日で、野菜用土壌も加え、耕し終わったので、しばらくは畝(畑地)の養生だ。

『チャタレイ夫人の恋人』は、決して、ただのエロ本じゃない。かなり社会へのプロテスト的な姿勢が込められている。時代性もあるし。何と戦っていたのかも見極めないと。『黙示録論』を読むと、圧倒されるよ:
拙稿「ルサンチマンが夢の中にも ? !」参照のこと。

「源氏物語」。幾度か挑戦するも、なかなか全体を通しては読めないでいます。原文で読むなんて、吾輩の語学力では無謀。昔、サイデンステッカーによる英訳本にトライしたことがある……けど、案の定、冒頭で挫折。となると、やはり、まずは現代語訳で。谷崎訳とか、与謝野訳など。誰の訳で読むか、迷っています。手元には数十年昔の全集版与謝野訳がある。うーむ。

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→ これからが最盛期。もっともっと咲いてくれるよ! 「季節の花 300 杏 (あんず)」参照。

 ということで、与謝野訳の「源氏物語」を読み始めるはずが……。
集英社(ShueiSha)/世界文学全集 ベラージュ 全88巻 1977-1981年」の中の「水滸伝 Ⅰ」(金聖嘆著)を読み始めた。与謝野晶子訳の「源氏物語」を読もうとしたが、書棚を物色していて、本書を発見。吾輩、本書を読んだことがあるかどうか、判然としない。本書、読書メーターで探したけど、見つからないよ。

 中国に於いて政治的な思惑などに翻弄されつつも、現代も読まれているらしい。日本も江戸時代以来、講談モノや芝居、小説にも多大な影響を与えてきた、とか。現代の人気作家も彼なりの水滸伝を書きつつあるし。ほんの少しの実話と針小棒大の奇譚の、長大な物語世界に分け入るとするか。

水滸伝 - Wikipedia」によると、「『水滸伝』(水滸傳)は、明代の中国で書かれた伝奇歴史小説の大作、「中国四大奇書」の一つ」だとか。
「時代は北宋末期、汚職官吏や不正がはびこる世の中。様々な事情で世間からはじき出された好漢(英雄)百八人が、大小の戦いを経て梁山泊と呼ばれる自然の要塞に集結。彼らはやがて、悪徳官吏を打倒し、国を救うことを目指すようになる」ということで、わくわくどきどきの英雄ドラマ。
 たまには毛色の変わった本も読んでみたい。

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← ロブ・デサール/スーザン・L. パーキンズ著 『マイクロバイオームの世界――あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』( 斉藤隆央 訳 紀伊國屋書店) 「人間の体表や体内に棲む何兆もの微生物が形成する群集=マイクロバイオームについて、しっかり学びたい人のための基本書」だとか。 

 ロブ・デサール/スーザン・L. パーキンズ共著の『マイクロバイオームの世界――あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』を読了した。
 マイクロバイオームに関連する本を何冊も読んできた。そのことは、昨年末以来の我がブログを見渡せば、一目瞭然だろう。

 結果思うのは、マイクロバイオームの研究は緒に就いたばかりだということ。ただし、パラダイムシフトを思わせるような、世界観の転換が迫られるとは思う。人体(動植物)の中に夾雑物として黴菌が生息しているのではなく、むしろ、30億年の歴史を有する細菌の世界に、人間などの多細胞生物たちが生まれ、折り合いを付けながらやっと生き延びてくるのことが出来た、むしろそのことのほうが驚きに感じられるようになってきたこと。
 その際、人体の内外の細菌の力なくして生きることはできなかったし、これからもできないだろうということ。

 有名なピロリ菌も、一時期、排除することに躍起となっていたが、今は、むしろどう共存するかに<治療>の主眼が置かれている。黴菌としてやっつけるのではなく、ある程度の不具合を忍びつつも適度に残ってもらって共存共生を図る。従来の治療のように、やっつけてお終いではなく、あくまで折り合いを付けるにとどめるのである。
 が、それが難しい。手洗いにしても、洗浄剤で殺菌するように洗うのではなく、目立つ汚れをさっと洗うほうがいい場合もある。なぜなら、殺菌してしまうと、体に無害な細菌どころか必要な細菌たちをも滅菌してしまう恐れが大だからだ。細菌の海に辛うじて漂っているのが多細胞生物である人間(などの動植物)なのだ。

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← デュ・モーリア著『人形 (デュ・モーリア傑作集)』( 務台 夏子訳 創元推理文庫)

 デュ・モーリア著の『人形 (デュ・モーリア傑作集)』を読了。

 本傑作集の中の「人形」は近年発見されたのだとか。なんと21歳の時の作品。そんなこととは露しらず読んで、ただ感心していた。
若かろうがデュ・モーリアらしさが満々である。人生の皮肉。でも、突き放しているようで、どこまでもリアルに最後まで看取る。モーパッサンやチェーホフ、O.ヘンリーとも違う無慈悲なまでの救いのない結末の描き方。なのに、作品を次々と読んで行ってしまうのは、どうしてなのか。その秘密を解き明かす力は吾輩にはない。
 どうやらまたデュ・モーリア熱がぶり返しそうだ。

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