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2017/02/25

『里山資本主義』やら中村 弥作「 幼い記憶」など

 今日は火事に、じゃない、家事に専念。この数日の強風で家の外が心配で見て回ったら、案の定だった。車道沿いの出窓の庇に被せてあったトタンが破れ一部、出窓のほうへぶら下っていた! むろん、手で引き千切った。見ると、庇自体、古くてトタンの下の板切れが腐敗し始めている。
 腐敗しかけているのは、他にも何か所も。

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← 塩田武士 作『罪の声』(講談社) グリコ森永事件の真相に迫った本。未読なのだが、この表紙の絵が気になった。調べてみたら、中村 弥氏による「 幼い記憶」という作品だった。「シェル美術賞2005」の入選作品。 (「シェル美術賞2005 受賞・入選作家一覧」参照。) この方の他の作品も観たくなった。

 家の外、他に日除けのシートをぶら下げている金具が外れかけていた。畑などの防草シートなども一部、剥がれていた。一番、心配だったパイプ車庫に被せてある防水シートだけは、無事だった。いつもながら、強風吹き荒れる翌日は、パイプ車庫自体が飛ばされていないか、心配でならない。

 思えば、今年に入って、未だベッドで寝ていない。いつも、茶の間のリクライニングチェアに体を預けて寝ちゃう。寝室は寒い。寝る前に暖めると、その分、暖房代がかかる。それより、暖かい茶の間で過ごしたほうが合理的……というか、吾輩はケチなのか、それとも、部屋を移るのを渋る横着者なのか。

 柿の種とキムチのマイブーム、なんとかキムチのほうは峠が過ぎたようだが、柿の種、止められない。何かストレスがあると、これら辛い物を頻繁に口にしたくなる。何のストレス?
 それはともかく、柿の種というと、寺田寅彦の有名なエッセイを思い出す:「柿の種
(ついでながら、小生、寺田寅彦関連の小文をいくつか書いてきたが、このエッセイに絡む雑文を綴っている:「寺田寅彦著『柿の種』あれこれ

 中でも白眉の個所は:

 風呂桶から出て胸のあたりを流していたら左の腕に何かしら細長いものがかすかにさわるようなかゆみを感じた。女の髪の毛が一本からみついているらしい。右の手の指でつまんで棄てようとするとそれが右の腕にへばりつく。へばりついた所が海月(くらげ)の糸にでもさわったように痛がゆくなる。浴室の弱い電燈の光に眼鏡なしの老眼では毛筋がよく見えないだけにいっそう始末が悪い。あせればあせるほど執念深くからだのどこかにへばりついて離れない。そうしてそれがさわった所がみんなかゆくなる。ようやく離れたあとでもからだじゅうがかゆいような気がした。
 風呂の中の女の髪は運命よりも恐ろしい。
                    (昭和十年九月)

 藻谷 浩介/NHK広島取材班『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』 を一昨日、読了した。最後の最終総括の部分は、経済論的アプローチでやや難しい感じもあったが、それでも、今や行き詰まりの感濃厚のアベノミクスよりは、説得力がある。
 富山県(市)も山間部の寂れ方は目に余るものがある。富山市は、コンパクトシティを謳って、中心街に人口を集中させ、賑わいを創出しようとしている。なるほど、ビル街はできつつあるが、夜の九時も過ぎると、人影は一気にまばらになる。
 まして、中心街をちょっと離れると、シャッター街は至る所。空き家や老人の一人暮らし、夫婦だけの家となると、目に余るほど。山間に入ると、もう語る気にもなれない。
 山間部の町や村が寂れている。観光の目玉となる資源のあるところは、まだその目玉に縋って生き延びを図ろうとしている。
 そんな若者(といっても、五十代以下)の少なくなった町村を活性化させるにはどうしたらいいのか。
 地域が自立をするしかないってのが、本書の主張。
 資本主義というと、特に近年、金融資本主義などのイメージが強い。その典型がアベノミクスだろう。
 だが、一方で近年の資本主義は、徐々にだが、瞠目すべき潮流が現れつつある。
 その顕著な試みの一つが、スマートシティ(Smart City)である。
スマートシティ(Smart City) とは IoTニュース:IoT NEWS」によると:
スマートシティとは、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)の先端技術を用いて、基礎インフラと生活インフラ・サービスを効率的に管理・運営し、環境に配慮しながら、人々の生活の質を高め、継続的な経済発展を目的とした新しい都市のことだ。

 本書では主に、里山資本主義を謳っているが、たくまずして、しかも、必ずしも先端技術を意識していなかったにも関わらず、「基礎インフラと生活インフラ・サービスを効率的に管理・運営し、環境に配慮しながら、人々の生活の質を高め、継続的な経済発展を目的とした新しい」町村作りを目指していたわけである。
 町村が自立するには、なんといっても、水、エネルギー、食糧、さらには仕事の確保が問題となる。
 では、日本という国はどうか。
 まず、大抵の町村には、活用されているかどうかは別にして、水はある。では、食料は? 水があり山(森)があるし、なんといっても幸か不幸か、土地が余りつつある(耕作放棄地がどんどん、生まれつつある)。
 土地が耕作されなくなると、雑草の野に成り果てるが、それは別の面から言うと、野菜を植えれば、どんどん育つってことを如実に証明していることになる。
 その雑草の地を杭で囲って牛などを放牧すれば、勝手に雑草を食って(刈り取って)くれるし、その牛は美味しい牛乳を生産してくれる。
 どんなメーカーの牛乳より、取り立ての牛乳が美味いのは言うまでもなかろう。
 肉牛だって育てられる。あるいは畑にするのもいい。山に限らず、山村部には野菜作りの美味い高齢者の方たちがいる。彼女らの作る野菜を、地元にもっと提供してもらう(対価として地域で流通可能な券を発行して、地域の店で買い物してもらえる)ことは、夢物語じゃない。要は、システムを作れるかどうかだ。
 エネルギーも、水があり、樹木があり、陽光があり、傾斜地があれば、小水力発電も太陽光発電、風力発電、地下水利用などなど潜在力はなかなかのもの。

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← 藻谷 浩介/NHK広島取材班『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』 (角川oneテーマ21)

 野菜の育つ土地があり、水があり、エネルギーがあり、野菜などを育てるノウハウのある年配者が居れば、鬼に金棒なのである。あとは、システム作りをする要の人だろう。
 交通網も、車を動かせる人がいれば、地域券を介して、一定の収入が可能になる。足があれば、高齢者も移動が楽になるだろう。
 スマートシティ的発想と、地域コミュニティ的発想が、何処か似ているような気がするのは小生だけではないだろう。
 水も食料もエネルギーも地産地消の時代なのだ。原子力発電のような大量生産大量消費の発想は、もう戦艦大和が戦争末期に使い物にならなかったように、時代遅れなのである。超巨大な不良債権になる(もうなっている!)のは、明らかではないか。

 ということで、本書の感想にはならなかったが、本書は依然として刺激的な本であると、今になって読んでも実感できた。

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