「六国史」は六部の歴史書の呼称である
病院、行きそびれた。…いや、行くの躊躇った。野菜を必ず食べるという習慣は、この五か月守ってきたが、運動をするという点は守れず。除雪や庭仕事で免罪というわけにはいかないだろうし、体重、増えちゃって、気が重いのだ。
← 目崎 徳衛 (著) 『百人一首の作者たち』 (角川文庫ソフィア) 遠藤慶太著の『六国史―日本書紀に始まる古代の「正史」』の中で名著ということで挙げられていた。先月、正月ということで、板野 博行著の『 眠れないほどおもしろい百人一首』(三笠書房 王様文庫)を読んだものだったが、この『百人一首の作者たち』も、読んでみたくなった。
この頃、物忘れがひどい。今日は、同僚に渡す書類を持参して約束の場所へ向かった……のだが、車を降りようとしたら、肝心の書類がない! あ、家の机の上に置いたまま、慌てて出かけちゃったのだ。
過日は、検診のために取った検便を玄関に置いたまま、検診の病院へ。あと数分で病院という交差点で、忘れたことに気づく。慌てて取りに戻ったけど、ホント、情けない。
やっと! どうしてこんなに認定に遅れたのか。学校も教委もおかしい!
「金銭授受も「いじめ」一転認定 原発避難いじめで市教委:朝日新聞デジタル」
誰を憚って虐め認定を避けてるのか。教委? 学校側(先生)? それともいじめた側の保護者? ただ、いつも思うのは、虐められた生徒には生き延びてほしかったと思う一方、生き延びたなら、虐めは何もなかったことになるんだろうなーってこと。これはこれで辛い。
一昨日、車中での待機中、遠藤慶太著の『六国史―日本書紀に始まる古代の「正史」』を読み始めた。
二三回の営業中に読み終えるつもりでいたが、急遽、今日月曜日は有休に変更し、時間が確保できたので、昨日今日とで一気に読み通した。
名前だけは各種の本で何度も目にしてきたが、そもそも六国史の名前をすらすらと挙げることすら叶わない情けなさ。というか、恥ずかしながら、小生は「六国史」という名称の本があると、思っていた節もある……
念のため、メモしておくと、六国史とは、『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』で、奈良時代から平安時代にかけてまとめられた古代の歴史書群の、後世の呼称である。
小生は、『古事記』については関連書も含め、それなりに馴染んできたが、これは正史としては扱われていない。
本書の中でも、『古事記』については、全く(といっていいほどに)言及されていない。そもそも、これら六国史の中でさえ、直接の言及は皆無(に近い)。
『古事記』については、六国史の最後の『日本三代実録』は九〇一年に完成しているのだが、これらの勅撰の史書が成った段階で、正史に異論を抱くいずれかの人物が、(原形となる文書は8世紀初頭にはあったかもしれないが)九〇〇年代の初めごろに完成させたという説に小生は説得力を感じる。
下記を参照のこと:
「三浦佑之『口語訳 古事記』」
「大和岩雄・著『新版 古事記成立考』を読む」
「三浦 佑之著『古事記講義』」
さて、自分のような浅学な者には敷居の高い六国史だが、日本人たるもの、その概要くらいは把握しておきたい。難解かなと恐る恐る読んだ本書だったが、自分にも分かりやすく、且つ興味深いものだった。
全四章の構成となっているが、いずれの章も興味深かったが、歴史の門外漢の小生が興味を惹かれたのは、徳川家康が大坂の陣の真っ最中に、六国史など日本の歴史書の書写に努めよと命令を発していること。さすが家康には目線の高さがある。以後、時代の趨勢や技術の進展もあって、歴史書は書写から印刷の時代へと移り変わっていく、その端緒となったとか。
かの徳川光圀が「大日本史」の編纂に取り掛かったことの意義も大きかったようだ(完成は明治に入ってからだとか)。自身が黄門として全国を漫遊したわけではないが、史書を書き連ねる過程で日本各地を調べたのは事実なのだろう。
塙保己一の偉業も改めて感じさせられた。
が、素人の観点で一番、驚きもしたし面白かったのは、『源氏物語』が六国史に継ぐ歴史書の意味合いを持つという観点があり得るという話。六国史以後も勅撰の史書を書く機会はあったが、その都度いろんな理由で流れてしまう。一方、史書ということではなく、いろんな貴族らが日記の形で記録を残していく流れが生まれてきた。
そうした日記が史書に代わるものとして重みを成していく。となると、わざわざ国史編纂を続ける必要性が薄れていったわけである、と。
← 遠藤慶太 著『六国史―日本書紀に始まる古代の「正史」』(中公新書)
それどころか、平安時代中期以降に登場した仮名による『栄花物語』や『大鏡』『源氏物語』、南北朝期の『増鏡』などの文学作品こそが国史を継ぐものだという見方も生まれるほどなのだ。
紫式部の父・藤原為時は「ひと世代前なら日本紀講に参加したかもしれないほどの知識人で、式部も六国史をよく読んでいただろう」
本書には、『源氏物語 蛍』からとして、下記の一文が引用されている(著者による現代語訳):
物語というものは、神代から世に起こったことを書き残したものだという。日本紀などはほんの一面に過ぎないのだ。これら物語にこそ、道理にかない、委細を尽くした事柄があるのだ。
『源氏物語』には、紫式部による父へのオマージュの意味合いもあるのだろうか。
本書は、歴史(特に六国史に根差す正史)に疎い小生のような者にも興味深く読ませてくれる好著だった。『源氏物語』にも改めて挑戦したくなった。
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