我が青春の地そして時
今日は検診。昨秋から野菜を多く取るようにしているのに、体重もウエストも変わらない。視力落ちた。血圧まあまあ。尿はタンパクが下りてない。血糖値、分からない。聴力、落ちた。あとは、心電図とかバリウム。これらの結果は後日か。
→ 近所を通る機会に恵まれたので、車中から撮影。 雨の日。慌てての撮影なので、焦点が合ってないかも。壁面に描かれた(ペイントされた)もので、風雪に傷んでいるけど、ノーマン・ロックウェルのポップな感覚がよく出ている。近所に彼の絵が好きな人がいる(いた)んだろうなー。(2013年5月20日、画像アップ) 拙稿「郷里でノーマン・ロックウェルと再会す」参照のこと。
いつもは一時間で終わるのが、今日は二時間もかかった。同僚と一人も会わなかったのも不思議。時間帯は同じだったんだけど。
ただ、近く組合の役員を辞めるので、運動めいたことをやり始めたいです。問題は、食事です。調理というと、電子レンジ。火を使うのは、即席ラーメンだけ。昨秋から野菜(コールスローサラダ)を毎食、ワンパック、食べるようになったのは、特筆すべきことです。
以上のような呟きの前に、下記のような呟きを某SNSサイトで投稿していた:
伊勢丹。ちょっと懐かしい。仙台での6年に渡る学生生活ののち、上京。東京での最初のバイトは東販。二番目のバイト先が伊勢丹の下請け会社。そこで3年近くお世話になった。仙台が第一の青春の地だとすると、そこでの3年が第二の青春の時だったんだと、思われてならない。
あくまで貿易代行業ということで、下請けの会社で働いていただけなのですが、お世話になったということで、伊勢丹には勝手に心の中で応援してきました。よく、伊勢丹美術館へも行ったっけ。
あ、アルバイトで3年弱。その後、下請け会社で13年だから、関係は16年近い。ただ、青春という心持だと、アルバイト時代の3年弱だったのです。
以上の呟き、特に後者について補足しておきたい。
伊勢丹関連の小さな会社で、81年の四月から94年の3月までの13年。その前に、また別の伊勢丹関連会社でアルバイトとして働いたのが、78年の夏前から81年の3月まで、2年と9ヶ月ほど(その前に、78年の4月から三か月ほど東販でバイト)。
仙台での学生の時代のことも、書きたいことは山ほどある。続く、アルバイト時代の3年についても、書きたいことが溢れるほど。
大半の時代について、日記が残っているはずなので、いつか、書きたいと思っているが、未だに生々しくて、傷口が開きそうで、実際に緒に就くには、時間が掛かりそう。
ただ、関連する記事は多少ある:
「我がガス中毒死未遂事件 」
「マラソンの思い出…恋」
「富士登山の思い出」
「ルソー…孤独な散歩者の夢想」
「ルソーの「告白」の頃のこと」
「有峰慕情」
「郷里でノーマン・ロックウェルと再会す」
「シェイクスピア著『テンペスト』の一節」
さらに、下記は、1977年1月末の日記からの抜粋である。生々しいとまでは言えないが、確かに懐かしい:
「学生時代の日記より」
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