井田川幻想
笑んでいるのか、それとも泣いているのか、オレには分からない。
オレはただ、壁の陰から女を見守っているだけだ。
誰か男があの女を連れ去っていくまで。
もう、何時間、立ちっ放しだったろう。一体、何人の男が唾を吐きかけていったことか。
女には、マッチの火を灯す奴もいない。爪に火を点す生活が見え透いて、見るからに哀れで、男が夢を見ることを許さない、そんな女に見えるのかもしれない。
一人くらいは、女を買う奴がいたっていいじゃないか。女を何処かの宿に連れ込んで己の憤懣で骨の髄まで甚振ってやればいいじゃないか。
そうして、置き去りにして、何事もなかったように家路を急げばいいだけのこと。
オレは女を凝視し続けた。女が売れないと困るのはオレなんだぞ! そう呟いていた。少しは媚びを売れよ。科を作れよ。お前の得意技じゃないか。それでオレを落としたんじゃないか。
オレをこんなにして澄ました顔で、それこそ何事もなかった顔をして、別の男の下へ足繫く通っていたじゃないか。
オレはただお前に同じことを目の前でやって見せろと言っているだけだ。
お前の愁いを含んだような目なんて見たくもない。何もかもを失って、心なんて砕け散って、魂の輪郭だって溶けてしまって、それでオレに詫びたつもりなのか。
オレはお前に堕ちてしまった。お前は、まるで無理心中のようにオレの腕を掴んで井田川の堤防から川の深みへと引きずり込んでいった。
一人っきりのオレ。独りぼっちのお前。でも、お前の肉体だけは、汗と涎とにまみれることができる。時に血の涙の池に溺れることだってできる。獣の熱い吐息に、あるいは腐った体臭に窒息だってできるんだ。買い手さえつけば!
オレは、そんなお前をとことん見守ってやろうというのだ。これがオレなりの愛情なのだ。
[画像は全て、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」より]
| 固定リンク
「創作(オレもの)」カテゴリの記事
- 新型コロナワクチン五回目接種(2022.12.22)
- 青い空 白い雲(2022.09.26)
- ボクの世界は真っ赤な闇(2020.10.16)
- 終わらない闇夜(2020.10.15)
- 真夏の夜の夢風なモノローグ(2020.08.09)
「恋愛・心と体」カテゴリの記事
- 生ラーメンを贅沢に調理する(2023.06.09)
- ゴキブリではなくコオロギか(2023.06.08)
- 週に五回ほど。以前は二回ほどか(2023.06.05)
- 十数年ぶりに眼鏡店で眼鏡買った(2023.06.04)
- 大山鳴動して元の木阿弥(2023.05.31)
「ナンセンス」カテゴリの記事
- 不吉な夢の意味をChatGPTに問いたい(2023.03.02)
- 沈湎する日常(2023.02.23)
- 時を空費している(2021.04.05)
- 久しぶりの五輪真弓特集に感激(2021.01.24)
- ツワブキの名の覚え方(2020.11.10)
コメント