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2017/01/03

竹村公太郎著『水力発電が日本を救う』に共鳴

 親せき宅へ年始。というか、御馳走になってきた。手ぶらも失礼なので、(もらいものの)数の子や(同じくもらいものの)モロゾフのチョコレート、(これまたもらいものの)干しシイタケパック、(富山では有名な青山の)鱒ずしなどを持参。 

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← 竹村 公太郎著『水力発電が日本を救う』(東洋経済新報社) 世界にも稀な地形と気象の日本は、既存ダム徹底活用でエネルギー大国になれる! 著者は、元国土交通省河川局長。旧建設省時代、川治ダム、大川ダム、宮ケ瀬ダムの現場に立ってきたとか。

 親せき宅では、お雑煮、ハムチーズのコロッケ、(持参した)鱒ずしを一切れ、などを食べてきた。帰り、豆入りのお餅をひと箱。今夜の夕食は、豆餅だ。
 親せき宅(の一帯)は、冬が近づくと、白鳥の飛来を愛でることができる。撮影スポットの一つ。梅雨の頃には、ホタル狩りのスポットにも近い。

 親せき宅へ行った帰り、ホームセンターに寄り、車庫のシート、杭14本、縄、などを購入してきた。今冬はまだ、雪囲いをやっていない。今のところ、雪のない正月だけど、富山だもの、冬はこれからが本番だから、備えておかないと。

 正月、NHKで久しぶりに小椋佳の歌を聴く。小生が学生だった頃、小椋佳や井上陽水などに聞き惚れていたなー。やはり、じっくり聞くと、いい!

 年頭に当たって、日本の将来のことを……なんて、生意気だけど、本音でもある。なので、本書竹村公太郎著の『水力発電が日本を救う』を読むのだ。
 元は、まさに巨大ダムを作ってきた官僚で、有名なダム三つの建設に携わった人。ダムに沈む地域の人たちの痛みを述べるくだりは痛切だが、今となってはどうしようもない。

 地域の人たちなどの保証はできるけど、思い出は保証できないってのが胸に響いた。明日までには読了するだろうが、日本の山(森林)が国土の3分の2という地の利がいかに水力発電に向いているか、説得力がある。しかも、新たに巨大ダムを作ろう、なんて時代錯誤の主張ではない。細かな感想は読了後に。

 などと某SNSサイトで呟いている。以下、本書の紹介を試みる。

 本書の要点を、いろんな書評や本書の内容案内を参照に、箇条書き風に列挙する。

アジアモンスーン地帯の北限に位置する雨の多い気候。列島の7割が山地という雨を貯(た)めるのに適した地形。加えて近代化の過程で建設された多数のダム。三つがそろった日本は奇跡のような国」。
 ここには、かのグラハム・ベルも登場する。この地の利を最初に指摘したのは、電話機の発明者であるが、その前に地質学者・地理学者たるベルだったのだ。

 奈良の昔から、都の発展には、近隣の森林の樹木を片っ端から伐採してきた歴史がある。奈良の都は、平城京の成立前から樹木を伐採してきたので、もはや適当な樹木が見つからず、政権と宗教とのごたごたもあって、平安京に移った。

 が、その都も奈良以上に近隣の樹木を伐採しつくした。やがて、関ヶ原の合戦で東西に分かれ、戦ったが、エネルギー源の観点からは、西側に勝ち目は初めからなかったともいえる。なぜなら、平安京(あるいは平城京)の昔から、そして戦国時代を通じて、西側の森林の樹木は荒れ放題になっていた。
 その点、東側はまだまだ余裕があった。家康が江戸に幕府を置いたのも、当時は水つまりは森という資源が豊富だったから。

 でも、それも江戸時代の半ばには枯渇しかけていたのだが…(あとは本文を参照)。
 そんな荒れ放題だった日本の森林が回復したのは、地域の人の努力もあったろうが、アジアモンスーン地帯の北限に位置する雨の多い気候という地の利があったればこそ。草が生え、樹木は勝手に生えてきたのだ。あとは、手を加えることで里山に人が仕立てていけばよかったのだ。
 日本人は決して、山や森を大切にしてきたわけじゃない(ほとんどが地の利なのである)。

現代はもう巨大なダムをつくれる時代ではない。これはダムを増やすのではなく、既存のダムを生かそうという話なのだ」。

「水域の人々に多大な犠牲を強いて巨大なダムを建設するのが近代のやり方だった。しかし「治水」と「利水」という矛盾した目的を担わされた多目的ダムは、時代遅れな法律のせいで、水を半分しか貯められず、力が十分に発揮されていない。運用と多少の改修で電力量は倍増するのに、有効に使わなければ犠牲を払った先人に申し訳ないではないか」。

「20世紀のダムなんて老朽化してんじゃない? ところが、明治以降の大きな震災でダム本体が壊れた例はひとつもない。鉄筋を入れず基礎が岩盤と一体化し、ビルとは桁ちがいの厚みを持つ日本のダムは〈半永久的に使えると断言できる〉」。

「化石燃料はいつか枯渇する。原子力は安全性に疑問がつく。であればこその水力発電。読後には〈ダムに貯められた雨水は石油に等しい〉という言葉がハッタリでも誇大妄想でもなく、実現可能なプランの指針に思えてくるだろう」。
 以上、「」内は、文芸評論家の斎藤美奈子氏の言。

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→ 金山沢川水力発電所(概要)  砂防堰堤を利用した小水力発電の事例のひとつ。本書でも紹介されている。(画像は、「環境省「地球温暖化対策の事業スキーム構築・推進力強化研修」資料」より)

筆者の傾聴すべき提言のポイントは、ダム運用の法律を変えるだけで、たちどころに発電量は倍増するという点にある。いまは洪水を恐れて、ダムの水を早めに吐いておかなければならない50年前の法律に縛られているというのだ。GPSや気象予測が発達した現在、ダムはもっと大量の水を計画的にため込み発電することができる、ましてダムの堤体をかさ上げしたり発電未利用の砂防ダムなどを改良すれば、供給不安定な化石燃料に多くを頼らなくて済む、低コストの国産電力の確保が可能であるとする。ゆえに、「ダムは油田である」とも」。

 「ダム屋」を自称する著者は旧建設省に入って三つの巨大ダムをつくった河川と土木技術のプロ。技術面については、折り紙付き。同時に、役人だけあって、原発にも目配りはしているが、どうみても、言外に原発には頼れないというニュアンスがにじみ出る。
 実際、賠償金や廃炉費用などに20兆円以上を今後、要するとなると(しかも、関係者は責任を回避し、負担だけは国民に均しくとなると、原発事業は廃炉ビジネスに徹したほうが、日本のためになるに決まっている。

 さて、著者はさすがに元役人だけあって、「土木、治水、発電、環境、法律、果ては事業としてのあるべき姿までを」バランスよく論考されている。

 著者が元役人だったと感心させられるのは、机上の空論ではなく、水源地域の市町村が小水力発電事業を立ち上げて、運営していくための具体的な仕組みをも丁寧に示していること。
 さすが!

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