わけのわからないものの噴出
明日……じゃなく、今日の朝には雪になりそう。雪のない年末年始でありがたかったけど、全く降らないのも(スキー場関係者でなくても)困るというか、富山らしくなくて心配になる。まあ、一月の半ばからが冬の本番だから、そろそろ雪が降るのが自然なんだろうけど。
→ 画像は、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」より。どこかデカルコマニー(décalcomanie)風なタッチが面白い。「デカルコマニーで制作された模様には制作者のコントロールが(少なくとも完全には)効いていない。つまり、完成した模様に制作者の「無意識」が表出していると考えることが可能になり、それこそがデカルコマニー最大の特徴と言える。また見る者によっても模様の見え方は様々であり、それが見る側の「無意識」をも示す可能性も指摘されている」という(「デカルコマニー - Wikipedia」より)。お絵かきチャンピオンさんの絵には、作家本人にも制御が及ばない無意識という名の溶岩の噴出を感じてしまう。
……といいつつ、やはり、雪が降るのは辛いなー。子供の頃は待ち遠しくて、降ると嬉しくて嬉しくて、普段は家の手伝いなんて命令されないとしなかったのが、雪搔きや雪下ろしだけは、せっせとやっていたっけなー。今は、除雪なんて、シジフォスの神話のように不毛に感じるだけ。
今日は一ヶ月に一度の通院。血糖値の数値、相変わらず今一つ。アドバイスというか、強い指示で、昨秋から野菜は食べるようになった。でも、運動は……。庭仕事は少々するけど、畑のほうは春までお休み。家の中でのスクワットくらいじゃ、運動にならんか。
病院の待合所には、いつも以上の患者たち。そのためにと、本を持参。さすが! が、老眼鏡を忘れた。やはり、自分らしい! メガネがなくて、一頁を読むのに数分を費やして、疲れ果てた。
どうやら、近親の某が、知らないうちに我が家にやって来て中を見ていったようだ。なぜ分かったか。うちの電話で何処かに電話したが、不在で、留守番機能で、相手方にうちの電話番号が記録され、先方から電話があったから。
身内だろうと、勝手に家に入るなんて!
そもそもその某は携帯、持ってるのに、なぜ、我が家の固定電話を使ったんだろう?
間違っても、赤の他人が侵入したってことはないはず。だって、親戚の家に我が家の固定電話を使って電話するはずないし。でも、我が家の電話であちこち電話してたらどうしよう。あー、真実が分からない。吾輩、その某が苦手で、あんた、うちに黙って来た? なんて訊けないのよ。あー、悶々。
一月になると、元旦辺りからアクセスが増える記事がある。
何かのキーワードが引っかかっているのだろうが、今一つ、分からない。
その記事というのは、以下の二つの拙稿:
「初鏡…化粧とは鏡の心を持つこと?」(2006/01/06)
「風車が春の季語なのは」(2006/04/11)
最初の記事は、季語からして正月に無縁でないとして、二つ目の記事は春四月の季語。なのに、どうして毎年今頃アクセスが増えるのか、分からない。
「初鏡…化粧とは鏡の心を持つこと?」(2006/01/06)では、こんなことを書いている:
女性が初めて化粧する時、どんな気持ちを抱くのだろうか。自分が女であることを、化粧することを通じて自覚するのだろうか。ただの好奇心で、母親など家族のいない間に化粧台に向かって密かに化粧してみたり、祭りや七五三などの儀式の際に、親など保護者の手によって化粧が施されることもあるのだろう。
薄紅を引き、頬紅を差し、鼻筋を通らせ、眉毛の形や濃さ・長さそして曲線を按配する。項(うなじ)にもおしろいを塗ることで、後ろから眺められる自分を意識する。髪型や衣服、靴、アクセサリー、さらには化粧品などで多彩な可能性を探る。見る自分が見られる自分になる。見られる自分は多少なりとも演出が可能なのだということを知る。多くの男には場合によっては一生、観客であるしかない神秘の領域を探っていく。仮面を被る自分、仮面の裏の自分、仮面が自分である自分、引き剥がしえない仮面。自分が演出可能だといことは、つまりは、他人も演出している可能性が大だということの自覚。
化粧と鏡。鏡の中の自分は自分である他にない。なのに、化粧を施していく過程で、時に見知らぬ自分に遭遇することさえあったりするのだろう。が、その他人の自分さえも自分の可能性のうちに含まれるのだとしたら、一体、自分とは何なのか。
一方、「風車が春の季語なのは」(2006/04/11)では、こんなことを書いている。そんな季節が早く来てほしい……。真冬の真っただ中、改めて小生が思っていることでもある:
長い冬の時をなんとかやり過ごして春風の吹く頃、何処からともなく「風車売」の小父さんが台車を引きながらやってくる。そこへ村の子供たちが群がる。お母さんか、それとも祖父・祖母たちが、やれやれと思いつつも、子供たちのために一つくらいは買ってやる。子供らは、名残の雪もようやく消え去って、水分をタップリ含んだ黒々とした田や畑の畦道を、それとも鎮守の森の境内を、買ってもらった風車を手に駆け巡る。
風車は口でフーフー吹いても回るようになっているが、すぐに息が苦しくなる。それより、駆けたほうが風車が勢いよく回る、というわけだ。
そんな子供たちのはしゃぎようを見て、春を大人は感じる…。
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コメント
「血糖値の数値、相変わらず今一つ」 - 何度か書いているかもしれませんが、私も十数年前に危なかったので、食事を落としましたが、なによりも運動量が必要ですね。仕事の合間にでも30分ぐらいづつ散歩されては如何でしょうか?いいアイデアが浮かぶかもしれませんよ。
食生活はやはりインスタントものが血糖値を上げ続けさせると思います。容易く満腹感を齎せるような、そのためにあるようなものが殆んどですからね。
投稿: pfaelzerwein | 2017/01/12 18:37
pfaelzerweinさん
生活は、少しずつ改善しているつもり。野菜も少々だけど、昨秋から在宅の日は、日に二度は口にしてます(お陰で……なのか、お通じが良すぎて……)。
そうはいっても、食事内容の貧困さと偏りは相変わらず。
電子レンジが唯一の調理器具という状態は相変わらず。
調理する時間が惜しいという牢固たる思いが抜けない。
運動が一番の課題。せめて毎日歩くようにと、お医者さん(や他の人にも)言われてます。
近いうちに組合の役員の任が解けます(定年で)。
そうしたら、役員になる前は、折々通っていたプール通いを再開できると期待しています。
ただ、タクシー業務って、結構、運動しているように感じます。
車の乗り降り、仕事では日に数十回。これだけでも、なかなかの運動になると思うのですが、論外かな。
以前(東京でのタクシードライバーだったある時期)、万歩計を付けていたことがあったのですが、仕事を終えた段階で4000歩弱。
在宅の日より穂数が多いのに、びっくり。
しかも、当時は流しなので、乗り降りの回数は今よりずっと少ないはず。
改めて万歩計を使ってみるのがいいかな。
投稿: やいっち | 2017/01/13 12:46