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2016/11/04

自作のキュウイを食べようとしたけれど

 一昨日、買ってきた高枝切鋏を初私用。初といっても、この鋏が買ってきたばかりというだけで、こうした鋏はこれで四代目。いずれも、三年を待たずに、ある日、プッツンして、恐らくはワイヤーが切れたか、鋏部分との繋がりが外れたりしたのだろう。

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← 初めて収穫したキュウイを早速、カットして食べようとしたけれど……

 使い方が激しいか、荒っぽい(雑な)のか、あるいは、使った後のメンテナンスが悪いのか、それとも、使用後に外に置きっ放し(庇の下なのだが)なのが錆などの元になるのか、いずれにしても、3年持たない。
 それでも、買ってきたばかりの高枝鋏なので、今日、秋晴れなのを幸いに、早速、使ってみたのだ。

 杉や松など、半ば藪のようになっている我が家の庭の樹木たちを片っ端から、せっせとカットしていく。
 といっても、数時間でどうなるものではないのだが。

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→ 毎年、今頃になると、この赤っぽい葉っぱが我が家のやや寂しげな雰囲気に沈みがちな庭を彩ってくれる。でも、名前が分からない。写真では今一つだけど、実物の紅葉ぶりは素晴らしい。

 初めてキュウイを収穫。お試しで2個だけ。とりあえずカットして食べようとしたけど、酸っぱいし固くて食べられない。

 キュウイって、どうやって食べたらいいの? って、呟いたら、「そのままで甘めのヨーグルトと食べるか、収穫後に、りんごと同じビニール袋に入れて追熟させたらあま~くなります♪ 」なんて、コメントを頂いた。
「追熟」なんて言葉も初耳。

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追熟 - Wikipedia」によると、「一部の果物などを収穫後、一定期間置くことで、甘さを増したり果肉をやわらかくする処理のこと」だって。
 そのような話は聞いたことがあるが、こうした言葉やメカニズムは知らなかった。リンゴと同じビニール袋に入れてってのは、「人為的に成熟を促進するためにエチレンガスを用いたり、エチレンガス発生量の多いリンゴの果実とともに密閉する方法がある」とか。
 そういえば、テレビでそんな説明を視聴したことがあったような。

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→ 観たところ、蔓性の植物に見える。最初は緑色だったのが、秋も深まって紅葉したのか、それとも、いきなりこのような紫と赤の混じったような独特な色合いの葉っぱとして蔓から芽吹いてくるのか。我が家の樹木たちに蔓というか、蔦のようなものが夏の前から絡みついているのが散見される。そうした蔓(蔦)が、葉っぱを芽吹かせていたのだが、地味だし、それどころか目障りに感じていたのが、晩秋に近づいて、葉っぱが紅葉して侘びの感のある葉っぱとして我が目を癒してくれたということなのか、今のところ、真相は分からない。

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← 安岡 章太郎 (著) 『鏡川』 (新潮文庫) 本日、読了。数年前、自宅にあった『流離譚』 を再読して改めて感銘を受け、その続編(姉妹編)があると知り、何とか読みたいと念願していた本。これはこれで悪くはなかったが、『流離譚』ほどの重厚感がなかった。それにしても、自分がそんな若いころに、『流離譚』のような読み応えのある、当時としては安くはない本を蔵書に加えていたとは、自分を見直したくなるような……なんて。


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2016/11/02

灯火親しむべし…どころじゃなく

 いよいよ十一月。霜月とはよく言ったものだ。

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← 縁側の廊下。外は築山風の内庭。廊下は、今は掃除して綺麗だが、風が強いと葉っぱが舞い込むことも。鳥の糞はしばしば!

 家の中は寒い。部屋が幾つもあるし、築60年以上なので、家の中にも外の風が吹き過ぎていくような始末。縁側の廊下には、風の強い日の翌日など、葉っぱが落ちていることも。それどころか、なぜか、鳥の糞が落ちていることはしばしばである。
 むろん、古びているとはいえ、ガラス窓があるのだが。

 ただ、このガラス窓は一体、いつ頃の物なのかわからない。あるいは築60年の当初からのものなのか。
 遠い昔、雨戸があったような気もするが、物心ついてからは、ガラス窓だけになったようだ。

 エアコンも30年ほどのもの。灯油ストーブは、木造家屋には怖いし。
 石油ストーブは、気密性の高い作りだと、酸欠や一酸化炭素中毒が怖いが、我が家では、ありえない! のだが。
 炬燵もないってのがやばいなー。

 家の中が寒いと読書も進まない。手が悴むし。
 なのに、読みたい本が山積み。

 昔の人は、火鉢や炭の火だけで、障子の部屋、蝋燭の灯で読んでいたのだろう。
 武士じゃなくとも、それこそ身を切るような寒さの中、きっと、背筋をピンと張って、座布団に座って。
 深沈たる夜、孤影が障子にポツンと。

 書物に、つまりは書を書いた先人に向き合っている気合で、一文字一文字を追っていったのだろう。
 黙読もしたかもしれないが、声を出して読むことも当たり前だったかもしれない。
 師の前で正座する覚悟だったろうし、書物などは貴重品だったろうし。

  灯火親しむべしという言葉をふと思い出した。ホントなら今こそ、そんな時期のはずだが、秋らしい澄み渡った快晴の日にはなかなか恵まれない。

 さて、その「灯火親しむべし」という言葉の出典は、「灯火親しむべし:意味・原文・書き下し文・注釈 - Web漢文大系」によると、韓愈「符読書城南」(『全唐詩』341巻)だという。
 意味合いは、想像通り、「秋の夜は灯火の下で読書をするのにふさわしい」のようである。

 原文を読み下すと、「時(とく)秋(あき)にして積雨(せきう)霽(は)れ、新涼(しんりょう)郊墟(こうきょ)に入る。灯火稍(ようや)く親しむ可く、簡編(かんぺん)巻舒(けんじょ)す可し」となる。

 この漢詩からすると、原文においても、降り続く雨(雪)が止んで空がすっきり晴れ、秋のはじめの涼しさが山間の里にもやってきて、灯火の下で読書をするのにふさわしい秋の夜長の季節がやってきた、ということのようで、雨続きの日が続いていたのが、ようやく晴れ渡る秋の日に恵まれた……つまりは、今日この頃の陽気に合致する漢詩なのかもしれない。

 秋の長雨は、梅雨の長雨よりも時期は長いというし、だからこそ、秋の澄み渡る空は気分爽快なのだろう。そんな秋の夜長を過ごすには、書物に向かうのが一番なのだろう。
 
 ただ、この漢詩では、秋のはじめの涼しさを詠み込んでおり、霜月という晩秋の寒さが背景になっているわけではない。
 ということは、新涼の候はとっくに過ぎた、秋も深まった頃には、昔の人も、とてもじゃないが、灯火親しむべし…じゃなく、炭火親しむべしとなっていたのかもしれない、なんて軟弱な自分は勝手に読み替えてしまうのである。

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2016/10/31

小鳥は何処…富山マラソンのこと

 茶の間の窓外の朽ちかけている農機具小屋。名の知れない樹木などが勝手に育っている。その小枝に赤っぽい小さな鳥が止まっているのを発見。あちこちちょんちょんと移動するが、最後は小枝にじっとしている。小鳥……子供の鳥のように感じる。

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← 葉っぱの陰に隠れるように、オレンジ色の物体が見える。姿形ははっきりしないようだが、小鳥だったのだ。あれから、どうしたんだろう……

 しばらくすると、同じ色柄の小鳥が飛来してきた。用心深いのか、小屋の中には入らず、外側を移動している。恐らくは親鳥、母鳥なのだろう。迷子になった小鳥を探しに来たのに違いない。懸命に探して回るが、親鳥は小屋の外、小鳥は小屋の中の木々の小枝に葉っぱに隠れるようにして留まっているいるばかり。親鳥よ、思い切って小屋の中を探せよ! って言いたいけど、言えるはずもなく。

 親鳥(母鳥)は、小屋を去って、近くの農作業小屋の庇の下に止まったり、小屋の屋根をちょんちょんと歩いたりする。でも、やはり、小屋の中へは入ろうとしない。ああ、小鳥よ、何故、鳴き声を上げないのか。用心して息を潜めているのか。母鳥もそうだ、母の声を大きく発したら、小鳥だって気づくんじゃないか!

…けれど、やがて母鳥らしい成鳥は何処かへと飛び去ってしまった。そして小鳥は、小屋の中の何かの樹木の小枝に息を潜めて留まっているばかり。日が暮れてきたよ。どうするの? 明日の朝まで、食べるものも自分で見つけられずに、じっと夜の深さを耐えていこうととでも。……朝になるまで生き延びたって、その先はどうするの?

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→ 夕方の環水公園。ここが富山マラソンのゴール地点。この公園は、富山で一番の人気のスポット。

富山マラソン」を見物に行ってきた。走る人も多いが、見物人も多かった。三十代の頃までは、走るのに熱心だった。青梅マラソン(30キロ)にも参加し、完走したからね。

 学生時代も、キャンパスを20キロ走る大晦日のマラソン大会に飛び入り参加。運動なんてしていないのに、ぶっつけで走ったけど、上位入賞して、お酒をもらったことも。そういえば、ほんの数年前は、家の事情でフルタイムの仕事ができず、新聞配達で頑張っていたことも。汗だくで頑張ったんだよ。

 学生時代、ぶっつけ本番で走った…実は、アルバイトで新聞配達をしていた! そうでないと、走れない!
 小生は、学生時代以来、一貫してガテン系のアルバイトばかり。

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← 環水公園っは岩瀬浜に続く運河の終着点であり出発点。運河には、遊覧船が走っている。橋の上から撮影しているが、この反対側には、13,000名以上のランナーたちが、もう間近いゴール目指して最後のファイト! そうそう、青梅マラソンについては、思い出の記を書いたっけ:「青梅マラソンの思い出(前篇)」「青梅マラソンの思い出(後篇)」 そのほか、マラソン絡みの記事を書いている:「箱根駅伝…観戦記?」「同人誌(?)を出した頃」「東京国際女子マラソン…感動のラストシーン 」 

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