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2016/10/28

永井路子著『岩倉具視―言葉の皮を剥きながら 』読了

 数日来、読んできた永井路子著の『岩倉具視―言葉の皮を剥きながら 』を読了した。

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← 永井路子著『岩倉具視―言葉の皮を剥きながら 』(文春文庫)

明治維新の立役者の一人、岩倉具視。下級公家に生まれ、クーデターの画策などで何度も追放されながら、いかに権力の中枢にのし上がったのか」といった本。
「「尊王攘夷」「佐幕」といった言葉を剥きながら、新たな岩倉像を立ち上げた永井文学の集大成」というが、それもさることながら、読んでいて感じたのは、幕末から明治維新政府の立ち上げに至る経緯の、想像以上の複雑さである。
 テレビドラマ的には、坂本龍馬や西郷、大久保らの英雄の活躍という物語が面白い。司馬遼太郎史観というやつだ。分かりやすいし。

 あるいは、幕末に活躍した新選組という、政府が雇った、官製版のテロリスト集団を英雄視したり。
 どんなテロ集団だって、それこそISだって、一人一人に焦点を合わせたら、そこにはドラマがあるだろうし、言うに言われる動機もあろう。ただ、嫌いな集団だと、想像力を働かせたくないだけ、とんでもない奴らだと、一言で片づけたいだけだ。

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← 『特命全権大使米欧回覧実記 1 普及版 アメリカ編―現代語訳 1871-1873 (1)』( 久米 邦武 (著), 水沢 周 (翻訳)  慶應義塾大学出版会; 普及版) 明治4年(1871年)に派遣された岩倉使節団の記録。アメリカなど海外勢が、日本について徹底的に調べたように、日本も明治維新政府を立ち上げるにあたって、海外事情を調査研究した。

 幕末から維新にかけては、幕閣も将軍も天皇も諸大名も上級武士も下級武士も、町人も商人、農民も、それぞれに表立って、あるいは陰で活躍し、暗躍し、語られぬドラマとして消え去っていったのだろう。
 小生の畏敬する島崎藤村の、「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで知られる『夜明け前』は、まさに激動し激変する幕末の怒涛の動きに翻弄される、生真面目な村の本陣・庄屋の当主の苦悩と絶望に至る物語だ。
 恐らくは、当時、日本中に大なり小なり、そういった時代に翻弄された人々が居たに違いない。
 
 同時に、当時、日本の趨勢を左右した勢力に、アメリカやイギリス、フランス、ロシアなど、外国の勢力も見逃せない。
 なんといっても、どんな政治運動も、資金がないと、身動きが取れないのだから。

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← 島崎藤村著『夜明け前 〈第1部 上〉 (改版)』(新潮文庫) 拙稿「藤村『夜明け前』を読む 」など参照のこと。

 竜馬らの資金は何処から出ていたのか。
 政治体制の構築に、日本の先覚者が関わったと同時に、アメリカやイギリスの思惑が深く関わっていたに違いないのだろうが、本書もだが、大概の幕末モノにも、外圧として、変革の契機程度にしか扱われていない。
 日本の運命に、きっかけはともかく、行く末にまで深く関与していたなんて、ナショナリストとしては、眼中に入れたくはないのだろう。
 でも、M・C・ペリー著の『ペリー提督日本遠征記 上 』などを読むと、ペリー(アメリカ)は、日本に来る前の段階で、驚くほどに日本について徹底して調べている。その結果、日本については、日本に来る前の段階ですでに、植民地支配ではなく、日本の政府(政治体制)に背後から関わる、間接支配(関与)のほうが合理的だと判断していた模様だ。
 だとしたら、アメリカの資金(や思惑)が相当に、幕藩体制から維新政府への移行に関わったはずなのである。

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← M・C・ペリー著『ペリー提督日本遠征記 上 』(監訳:宮崎壽子 編纂:F・L・ホークス 角川文庫) 「喜望峰をめぐる大航海の末ペリー艦隊が日本に到着、幕府に国書を手渡すまでの克明な記録。当時の琉球王朝や庶民の姿、小笠原をめぐる各国のせめぎあいを描く。美しい図版も多数収録」とか。 (情報や画像は、「株式会社KADOKAWAオフィシャルサイト 」より)。挿画もある。幕末から維新前後、明治から大正など、古き日本の世相を知るのが好き。ペリーは、開国が欧米のみならず、日本のためになると、本気で思っている? 上下巻で1200頁以上。実に面白かった。

 本書を読んだのは、前々から、黒幕ってわけじゃないが、大久保や西郷はともかく、公家の末端だった岩倉具視という曲者が気になっていたから。
 読了して、彼の暗躍(?)ぶりも面白かったが、幕末から明治維新への移行の経緯は、想像以上に複雑な要素(人物や勢力)がカオス的に関わっているということを実感させられた。

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2016/10/26

柿の実からサンタまで

 久しぶりに風のない爽快そのものといった秋晴れに恵まれた。外出日和だが、生憎、出かける目当てがない。ここは、野暮ながら、庭仕事に励むしかない。やらないといけない、庭や畑仕事がいっぱい残っている。
 今日は、画像へ付した説明にも書いたように、柿の実の収穫。
 もう、収穫には遅いぐらいだが、いつまでも手をこまねいているわけにもいかない。

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← 本日は、秋晴れ。今のうちにと、ようやく柿の実の収穫作業。今年は、実の生り方が少な目。それでも、大きめの実を40個余り収穫。一人では食べきれず、とりあえず、半分を親戚の家に。 さて、残りはどうする?

 実を言うと、栗の実の収穫は、とうとう何もできず仕舞い。クリの木には実が残っていない。地上を見ると、トゲトゲの実が散在している。見事なまでにどれも実が切り裂かれて、中身がカラになっている。
 切り裂かれたのか、それとも、実の肥大に自然に割けるものなのか。

 ちなみに、キュウイは、いっぱい生っているまま、今も健在。いつ、収穫したらいんだろう。

 今年は、柿の実の生り具合が弱い。写真でも分かるように、見るからに生っている実が少ない。
 今年の異常(?)といえば、例年、庭木の幾つかが、何かの害虫にやられて、葉っぱが食いつくされる。
 なので、発見次第、防虫剤を吹き付ける。

 それが、今年は、例年、やられる柿などの木々は葉っぱが冒されることはなかった。
 代わりに(?)、クスノキの葉っぱが、五月から六月にかけて、どんどん、無くなって行って、六月末には、とうとう葉っぱは見る影もなく、枝だけが風に吹かれている始末。何かの病害虫……あるいはウイルスにやられたのだろう……か。

 ところで、J・M・クッツェー著の『サマータイム、青年時代、少年時代 ──辺境からの三つの〈自伝〉』(くぼたのぞみ訳 INSCRIPT)をゆっくりじっくり読んでいるのだが、合間に息抜きに、佐治晴夫著の『14歳のための宇宙授業 相対論と量子論のはなし』を読んでいる。
 まさに中学生向きの本。だが、巻末には結構高度な数式が載っている。中学生でも、才能のある人は理解しちゃうんだろうなー。
 その本の中に、気になるくだりがあった。

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← 佐治晴夫著『14歳のための宇宙授業 相対論と量子論のはなし』(春秋社) 「夜空の星の煌めきからクォークやゲージ粒子まで、このかけがえのない世界を記述する現代の科学理論の2つの柱をわかりやすく詩的に綴る宇宙論のソナチネ」だって。なるほど、結構、情緒溢れる文章がそれぞれの章の冒頭に載っている。

 ゲーリー・ホロヴィッツとバジル・キサントポーラスの二人が、相対性理論の立場でサンタの秘密を解いた、とあるのだ。
 詳しくは、「なぜ、サンタクロースが私たちに見えないのか?」のなぞを解いたというのだ。
 が、説明は付してない(まして、参考文献も)。
 ネット検索してみたら、下記のサイトが浮上してきた:
読中感3 硝子のハンマー 永田町で働くサラリーマンの読書日記(脱線多し) - 楽天ブログ」:

世界中に20億の家庭が一様に分布しているとすると、クリスマスイヴの24時間に全家庭をまわるには、1家庭につき2万分の1秒しか立ち寄れず、光速の4割ものスピードで走り回るサンタに、わたしたちは気がつかないというのです。
【別冊「数理科学」相対論の座標~時間・宇宙・重力(1988年サイエンス社)から岡村浩「ブラックホールと一般相対論(1)より】
(I 見えない殺人者 p.298)

単純計算ですが、すでに世界人口が70億人に達している。世帯数は定かではないが、
1世帯当たり3人としてもサンタクロースの移動速度は30年前と比べて16%アップ!
ってことは余計に見えにくく、というより気づきにくくなってるってことだ。


 なんだ、そういうことなら、本書に書いてあるじゃないか!

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2016/10/24

カサコソと秋の音するはぐれ道

 都甲幸治著の『生き延びるための世界文学』を読了した。実は、J・M・クッツェー著の『サマータイム、青年時代、少年時代 ──辺境からの三つの〈自伝〉』をゆっくりじっくり読んでいるところで、大部な本の息抜きのつもりで読み始めたのだが、予想外の面白さ(← 生意気!)に嵌まってしまった。

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← 都甲幸治/著『生き延びるための世界文学 ―21世紀の24冊―』(新潮社) 「名作は世界中で日々生まれ、その大半はまだ訳されていない──」!

 本書の案内によると、「名作は世界中で日々生まれ、その大半はまだ訳されていない──」なんてあって、実にキャッチ―なコピーだ。
 本書は雑誌に連載されていた文章を編集したもので、その後、幾つかは翻訳されてきている…ようだ。
 ただ、仮にみんなが訳されても、その大半は、読む機会を作れずに、つまりは出合わずにすれ違っていくに違いない。
 文学に限らず、音楽も美術も詩も彫刻も舞踏も、映画も舞台もその深浅や彫琢の優劣の差はあっても、今も次々と作品が生まれ続けている。
 あるいは、作品という形にならない、まさにナマの想が寄せては返す波のうねりのように海面の波間に浮かんでは沈み、やがては溺れていくか、海中の生きものたちの餌食となって消えていくのだろう。
 文字通り、海の藻屑と成り果てる……

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→ 96歳で即身仏になった真如海上人 (画像は、「真言宗 天照寺 仏教心理学14 即身成仏と意識の転変 八識から五智へ」より) 「知られざる日本のミイラ信仰…永き苦行の末の『即身仏』という驚異 - NAVER まとめ」など参照。

 世界の何処かで必ずのように、戦争やテロがまさに今、起きているし、途切れることなく犠牲者は生まれている。
 それが戦争の形でなくても、家庭で会社で、路上で、ベッドの上で、ビルや古壁の裏側で、声にならない声が、喚きや呻き、嘆き、時には歓喜と見紛う怨嗟の叫びが、そんな呻吟するあられもない姿が曝け出されている、あるいは闇の壁に向かって血反吐のように吐き出されているに違いない。

 いや、呻吟ばかりじゃなく、あまりに何気ない日常の中の心の揺らめきが陽炎のように、昼間の幽霊のように彷徨しているに違いない。
 声なき声を拾う、形にならないものを、その触れればたちまち崩れ去るような、繊細な時の溜め息が生まれては、誰にも気づかれることなく消え去っていく。
 答えは風の中にあるのか、風に答えは吹き流されるだけなのか。

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← J・M・クッツェー著『サマータイム、青年時代、少年時代 ──辺境からの三つの〈自伝〉』(くぼたのぞみ訳 INSCRIPT) 「自伝はすべてストーリーテリングであり、書くということはすべて自伝である」(クッツェー)。

 文学って何だろう、哲学って何?
 ただただ生き延びるためにあるということなのか、あるいは生きているギリギリの証左なのだということか。
 表現するという営為は、つまりは、即身仏を志す者の鳴らす鈴の音だとでも?

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2016/10/23

ウグイスの名の謂れや苧環の草叢

 「ホーホケキョ」と大きな声でさえずるウグイス。その「ウグイス」なる名前は、「古くは鳴き声を「ウー、グイス」または「ウー、グイ」と聴いていて、和名の由来であるとする説がある」んだって。へえー、である。
 常光 徹 著『折々の民俗学』(河出書房新社)を読んでいたら、そんな話題が出ていたので、ちょっとメモ。

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← ホトトギスの花たちが今、真っ盛り。我が家の庭を彩るのは、シュウメイギクとホトトギスの花だけ。

 さて、昨日は、連休の初日ということで、庭仕事。
 過日、買ってきて置きっ放しになっていた、コンポストを裏庭の隅っこに設置する、あるいは庭木の剪定など、庭仕事に精を出し、汗びっしょり。
 と、そうした作業の最中に、ふと、そうだ、選挙(期日前投票)に行くんだったと思い出した。汗を拭い、下着も替えて、自転車で市役所へ。富山は、政治活動費の不正使用で政界が大揺れ。 

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→ 裏庭の隅っこに、ひっそりと、苧環(オダマキ)が。すぐ脇の苧環の群生から飛び地風に生えてきた。来春の開花まで、新秋と冬の季節とを超えないといけない。

 もう、二十年も昔に書いた小説に、何処かで聞きかじった苧環(おだまき)の花を登場させた。
 そのほんの数年後、自宅の庭で草むしりをしていて、なんと我が家に苧環の花が一叢、育っていることに気づいてびっくり。
 実物を見るのは初めてで、花の清楚な青と白の佇まいに心惹かれた。

 当時は、東京暮らしで、正月やお盆、五月の連休の際にしか帰省しないので、草の状態の苧環しか目にしていない。だから、雑草扱いしていたのだろう。
 草むしりし始めたら、草っぽいものは片っ端から、それこそ根っこから引っこ抜いていくので、あるいは雑草と共に葬り去ったのかもしれない。自分の不明に忸怩たる思いがある。

 さすがに、苧環の存在に気づいてからは、可能な限り大切にしている。除草剤も近辺には散布しないなど。
 すると、苧環の草叢が、最初の一叢を中心に、次々と生まれてきている。そのうち、あの一角は苧環の草叢になる……かもしれない。

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← 今日は庭仕事。庭木の剪定。その前に、雑草を堆肥(土)にするため、2台目となるコンポストを設置した。庭木の枝や幹用のコンポストが欲しいな。

 ところで、 「土人発言」警官に擁護論も、といったニュースがマスコミをにぎわせた。大阪出身の機動隊員の暴言。
 驚いたことに、大阪府知事が擁護論を展開。
  ヘイトスピーチする連中もいるし、本土の民間の間に沖縄の人々への偏見や差別意識を持つ人もいるのだろう。
 が、あの暴言は、機動隊員という権力の行使者の言動なのだ。権力者や当局の関係者と、一般人を同列に扱うのが筋違い。松井大阪府知事のタカ派的素性が分かるというもの。

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