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2016/06/11

点々は 宇宙を攪拌しないのです

 我々は攪拌された宇宙に散在する点々なのかもしれない。
 星の一つ一つが、誰彼の心の投影なのかもしれない。

 道端の石ころや空き缶にしても、誰かの眼差しに晒される。

 梅雨の束の間の日の光にジリジリと焼かれて、
             つい、本音を洩らしそうになる。

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2016/06/10

『日影丈吉 幻影の城館』と昭和前半の世相

 自宅では、D・P・シュレーバー 著の『シュレーバー回想録』 (尾川/金関訳 中公クラシックス)を読んでいる。

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← 日影丈吉 著『日影丈吉 幻影の城館』(河出文庫)

 最初に平凡社から単行本で出た際に、刺激的な内容だと感じ、即座に買って読んだもの。

 その本は引っ越しのドサクサに手放してしまったのだが、このたび、復刊となったので、今、読み返しつつある。
 ただ、あまりに重い内容の本なので、息が詰まってくる。自分が正常だということを証明するなんて不可能だろうし、といっても、自分の乏しい知性や常識で何事も判断するしかないとしたら、一体、出口は何処にあるのかという気になってしまう。

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2016/06/09

岩峅寺と磐座信仰?

 雄山神社は、「霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった」(「雄山神社 - Wikipedia」より)。

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→ 雄山神社 峰本社 神殿・鳥居 遠景 (画像は、「雄山神社 - Wikipedia」より)。

「峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、前立社壇(まえだてしゃだん)の三社をもって雄山神社と」し、「所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から岩峅寺(いわくらじ)にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である」。

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2016/06/08

好奇心で中野 明 著『裸はいつから恥ずかしくなったか』を読む

 ひたすら好奇心と、多少の(?)スケベ心で買い求め、読んでしまった本。
 昨日は仕事がやたらと暇だったもので、残り160頁ほどを一気に……じゃなく、ダラダラ読んで行っても、余裕で読み終えてしまった。悲しい現実……。

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← 中野 明 著『裸はいつから恥ずかしくなったか ─「裸体」の日本近代史』 (ちくま文庫) 「幕末、訪日した外国人は混浴の公衆浴場に驚いた。日本人が裸に対して羞恥心や性的関心を持ったのはいつ頃なのか。「裸体」で読み解く日本近代史」とか。

  江戸時代に関連する本を読むと、そういった話(や絵)は折々出てくるので、気になってならないでいた。
 さすが、世の中は広いもので、小生のようなスケベ心に……じゃなく、関心に見事に応えてくれる書き手(調べる人)がいるものである。

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2016/06/06

本はまとめ買いじゃなく

 最近は、本をまとめ買いすることが多い。忙しいこともあるが、近所に(小さくてもいいのに)書店がないことが理由。

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→ 過日、仕事でだが、世界遺産に登録されている、菅沼や相倉合掌造り集落などへ行ってきた。本画像は、「菅沼合掌造り集落」。相倉のほうへは、何度か訪問しているが、菅沼のほうは、通り過ぎるばかりで、ちょっとでも集落を眺められたのは、初めてである。

 仕事が終わるのが、丑三つ時なので、仕事帰りに書店へ、という楽しみもない。
 やはり、本を一冊、じっくりゆっくり読んで楽しんだら、また次の出会いを楽しみに書店へ、というのが嬉しいのだが、そういう時代ではないし、町の商店街の寂れようを見ても、今どきそんな夢、見るなよ、だろう……か。

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