村上春樹 『職業としての小説家』に共感
「あなたは、少数の人を生涯だましつづけることはできる。また大勢を一時だますことはできる。だが多くの人間を生涯だましつづけることはできない」とは、リンカーンが政敵に投げた言葉(とされるが、異論もある)。
原文を示すと:
You can fool some of the people all of the time, and all of the people some of the time, but you can not fool all of the people all of the time.
← 村上春樹著 『職業としての小説家』( 新潮文庫) 「村上春樹 『職業としての小説家』 新潮社」など参照のこと。
今なら、トランプ次期大統領に言いたい! 人種差別や理念なき、商売ベースの政治なんて、くそっくらえだ。
あるいは、ヘイトスピーチする連中とか、安倍内閣の閣僚20人中19人がメンバーだという神道政治連盟(神道政治連盟国会議員懇談会)の連中の少なくとも一部にも。
さて、そんな野暮な話はともかく、今日、村上春樹著の 『職業としての小説家』を読了した。
仕事が暇だったもので、車中での待機中にほぼ読み終え、残り30頁ほどを敢えて残して、最後は自宅で読み切った。
「「村上春樹」は小説家としてどう歩んで来たか――作家デビューから現在までの軌跡、長編小説の書き方や文章を書き続ける姿勢などを、著者自身が豊富な具体例とエピソードを交えて語り尽くす」という本。
半分、自伝であり、半分は小説を書く作法や流儀を披露している。
意外なのは、河合隼雄氏との出会い。
同氏とは、物語というコンセプトを共有していたという。「物語というのはつまり人の魂の奥底にあるもの」「魂の奥底にあるべきもの」、その物語を同氏と共有していたというのだ。
しかも、互いに共感しあっていた、少なくとも村上氏は思っていた、そんな相手は河合隼雄氏だけだという。
この辺りのことは、本書の最後の章「物語のあるところ――河合隼雄先生の思い出」に縷々語られているのだが、本当の実感のところは当人同士にしか分からないのかもしれない。
小生は、学生時代の一時期、ユングに凝っていたこともあり、その紹介者でもある河合隼雄氏の諸著には親しんでいた。東京在住時代の終わりごろ、恐らくは2005年か6年の頃、神田の古本屋街を歩いていた時、偶然、すれ違ったことがある。一目で、同氏の特徴的な顔、特に村上氏も言う、独特の鋭い目で、同氏と気づいた。
よほど、挨拶して、サインでももらいたいと一瞬、思ったが、シャイな自分に声をかける勇気もなく……
村上氏だけじゃなく、河合氏の本も近いうち、再読してみるかな。
さて、肝心の『職業としての小説家』だが、かなりのところ、共感できた。僭越というか、生意気だけど、小生も、89年の正月に小説を書くことに人生の焦点・軸を置くと決めてからは、小説や虚構表現の世界に自分なりに頑張ってきた。
89年から93年にかけては、サラリーマンだったが、名前だけの課長として一人で居残って月に百時間を超える残業の日々を送り、作家であった友人の取材のテープ起こしをし、ようやく机に向かい虚構の時を確保して、執筆作業に打ち込めたのは、夜中の二時ころだった。
そんな生活を数年送り、体を壊したこともあり、とうとう94年の晩冬、会社を首になった。
その後、一年ほどの失業時代を経て、95年にタクシードライバーという道を選んだが、私生活は総てを執筆作業に捧げるという覚悟の上での選択だったのである。
詳しいことはすでに本ブログで縷々書いてきたので、ここでは略す。
当時から長編は好きだった。日に原稿用紙で10枚分を毎日書いたので、ひと月に300枚の作品が一つ完成するというペース。
幾つか長編を仕上げた後、2000年に一転、短編に専心した。
表現の技術を磨くためと、ホームページ、ついでブログに随時、短編を載せていくためだった。長編をゆったり書くのもいいが、短編で腕を磨きたかったのだ。
まあ、自分のことはさておき、村上氏の昔ながらの作家道とは違って、日々、一時間のマラソンで体を鍛えつつ、日々、小説をコツコツと、だが粘り強く書いていく。
自分も失業時代は、週に四度はプール通いをしつつ、毎日、日に10枚の文章を書いていった。マラソンは好きだし、粘り強さだけはある。
村上氏の凄いところは、出版社に執筆を依頼されて書くのではなく、あくまで内的な動機と意欲で、自分のペースで執筆する、その姿勢だ。
同氏は、若いころは芥川賞の受賞フィーバーに巻き込まれ、いろいろあってアメリカへ渡った。
今は、毎年のように、ノーベル文学賞の季節には、ファンやマスコミの間で今年こそはと煽られる。
同氏には迷惑この上ないことだろう。
本書については、いろいろ書きたいことがあるが、自分にとって、本書は…あるいは村上氏は、師というより、兄貴の励ましの言葉のように感じられつつ、頁をめくる手ももどかしく読み切ったとだけ、ここには書いておく。
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