はだかの起源 言語の起源
島泰三著の『はだかの起原―不適者は生きのびる 』(木楽舎)を読んでいる。十年程前に図書館から借りだして読んだことがあるので、再読である。
← 島泰三著『はだかの起原―不適者は生きのびる 』(木楽舎)
読んだ時の印象が強くて、いつか入手し再読したいと思ってきた。ようやく、その日が来たわけである。
ヒトが裸になる。つまり、獣…毛ものではなく、全身ほぼ無毛の体躯となるということの意味はいかに大きいか。
その前に、体毛があることのメリットを失ってまで、敢えて無毛の体を選び生きたその意味は、想像以上に大きい。
むろんというべきか、ヒトが敢えて意図的に選んだわけではない。
そうではなく、最初はケモノたちの中に、異常な体質のものとして生まれたのだろう。
だが、その大半はケモノの生きる環境では生きられなかった。たとえ、親たちが異常な子であっても守ろう、育てようとしても、カによって感染するマラリアなどにあっけなく命を奪われていく。
週に一度か二度は、庭仕事をする。我が家の庭は、藪のような状態になっていて、剪定をする際にも、ちゃんとした作業着を着用していないと大変である。むろん、長靴は必須。手袋も、できれば、マスクやメガネもあったほうがいい。枝葉を切ると、細かな木屑や花粉、埃、蜘蛛の糸などが飛んできたリ、体にまつわりつく。
あるいは、杉の木の脇を通ると、それだけで、腕や脛や肩や、もう体の至る所を擦る。あるいは、棘のある葉っぱに、切ったり折った枝の切っ先に傷つけられる。
時折、晴れた日の朝など玄関の戸を開けると、ふと、伸びた枝などが気になる。あの一本だけ、切ろうと思うのだが、一本切ると、その傍の枝が、その向こうの枝葉が気になって、あるいは、遠くからは見えない雑草が目についたりして、気が付くと、サンダル履き、半そで、無帽で一時間もムキになって作業することがある。
そんなにやるはずじゃなかったのに、つい、夢中になってしまうのだ。
気が付くと、体のあちこちが擦り傷だらけとなっている始末。
若いころと違って、ちょっとした傷でも治りづらい。
幸い、変な虫に刺されて腫れあがるってことは今のところないのだが、そんな事態も十分ありえる。
それが、アフリカの大地で、多くの獣たちの中で、裸…無毛の体で生まれたら、たとえ幼児期を脱しても、仲間とは一緒の生活を送ることはできないだろう。足手まといになるのが目に見えている。
無毛だけじゃない、どうやら、ヒトが無毛となった時期と相前後して、ヒトは言語(発話能力)を獲得したらしい。
言語(発話能力)は、ヒトにおける食道と気管支の複雑な発達と深いかかわりがある。
サルは、鼻で息をしながら、食事ができる。鼻から吸った息がすんなり気管支を通って肺に向かい、一方、口に何かを銜えていても、ちゃんともぐもぐやって呑み込める。
一方、ヒトとなった現生人類は、息をする時には食事ができない。
喋る時には、息ができない。咽頭の構造がサルとは違うのである。
サルなど、それまでの類人類が享受してきた呼吸(と給食)同時遂行能力を喪失してまでも、ヒトは発話能力を獲得した。しかも、その能力は、生後三か月の頃に、赤ちゃんが懸命に親の発話(発声)を真似て、声を出そうとする。
サルなどの全身の体毛や呼吸能力を犠牲にしてまで、ヒトは無毛の体と言語(発話能力)を得ようとしたわけだ。
能力を獲得してしまえば、非常なメリットがあるのは分かるとしても、獲得し、そうした仲間が増えるまでは、その移行期間の間はどう、その(当初は)異常児たちが生き延びられたのだろう。
さて、本書もあと少しで読了である。
その辺りの謎はどう解き明かされるのか、楽しみである。
島泰三著『はだかの起原―不適者は生きのびる 』(木楽舎)関連拙稿:
「ヒトはいかにして人となったか 」(2007-02-17)
「「はだかの起原」…シラミから衣類の誕生を知る?」(2006/02/12)
「『日本人の起源―古人骨からルーツを探る』感想」( 2006-02-15 )
「はだかの起原、海の惨劇 」(2006-02-06 )
「居眠りには読書だ…『日本人の起源―古人骨からルーツを探る』 」(2016-11-12)
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