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2016/11/06

月の兎悲話

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→ 捨身飼虎図(須弥座向かって右面) (画像は、「玉虫厨子 - Wikipedia」より)

 昨日のような秋晴れじゃなく、午前中は小雨の降る生憎の天気。
 午後になってようやく雨も上がったので、富山市議選の投票へ。作られたばかりの公民館へ足を運んだ……ってのは、嘘で、いつものように自転車を駆って。

 中はいかにも真新しいという建物で、その広い館内に、投票するのは自分一人。地元の人たちはどうしたんだ、誰も来ないのか……なんて思っていたら、帰る間際になってようやく、ポツポツと人がやってきた。
 ホント、閑散な会場に、なんだかがっかりの感。政治活動費(税金)の不正使用に端を発し、富山市議だけでも12名が辞めたという、非常に関心を呼ぶはずの選挙なのに、富山の市民は怒らないのかと、拍子抜けの感。
 選挙の争点が政務活動費の使途の明確化なんて、あまりに後ろ向きなテーマに呆れているのか、与党も野党も腐敗していて、市民は力が入らないのか。
 でも、市長はコンパクトシティなんて、標榜しているが、小生は問題があまりに大きな政策だと思っている(何度か採り上げたので、ここでは触れない。要は、日本が東京一極集中になって地方が疲弊しているのを、富山市では富山の駅前周辺や路面電車(主に環状線)中心の繁栄を企図する、要はミニ版の一極集中政策を採っているのであって、弊害が大き過ぎると指摘)。
 さて、選挙と買い物を終えて、雨も上がったことだし、高枝切鋏で庭木の剪定に二時間ほど没頭した。
 冬に向かって、雪吊りもしないといけないが、まずは枝葉の剪定。枝葉に雪が被ると、枝が撓って、隣家や我が家の壁面にしな垂れかかったり、壁面を擦ったりして、実害が生じる恐れがあるので、その予防のためもある。
 あと二三回は、同じ作業を繰り返さないといけない。
 さらに待っているのは、雪吊り。といっても、そんな立派なことはできないので、樹木に縄を巡らす程度の作業である。

 昨日から車中で、『今昔物語集』 を読み始めた。

「インド、中国、日本では北海道から沖縄まで、広大な舞台に繰り広げられる、平安朝の生んだ日本最大の説話大百科。登場人物も僧・武士・庶民などさまざまな階層に及び、ヴァラエティに富む説話を収録。現代語訳と、古文の生き生きとしたリズムによって、豊饒な話の宝庫をヴィジュアルに楽しめる」といった本。
 そう、ビギナーズ・クラシックスということで、小生のような古典に弱い、でも、関心だけは抱いている初心者向けの本。

「今昔物語集」なんて、読み下し文であっても、日本編ですら読み通すことはないだろう。
 ましてインドや中国編などは恐らく、一生目にしないはず。
 そうはいっても、雰囲気だけでも味わいたくて、本書を手にしたのである。

 まだ、読み止しだが、興味深い話を知った。
 あるいは、世の人たちには常識なのかもしれないが、自分には初耳のこと。
 我々日本人は昔から、月にはウサギさんがいて、月の影は、ウサギさんが餅を搗いているという場面を読み込んでしまう。そう言われてきたから、先入観がある。人によれば他の物語を読み込むかもしれない。
 昔から日本に伝わる話、きっと中国辺りの影響なのだろうと、根拠もなく想っていた。

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← 『今昔物語集』 (角川書店 (編集) 角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

 実際、「月の兎は、「月に兎がいる」という伝承にまつわる伝説。中国では玉兎(ぎょくと)、月兎(げつと)などと呼ばれる」という。

 が、本書によると、どうやら違うようである。

 便宜上、「月の兎 - Wikipedia」を参照させてもらう。

「月になぜ兎がいるのかを語る伝説にはインドに伝わる『ジャータカ』などの仏教説話に見られ、日本に渡来し『今昔物語集』などにも収録され多く語られている。その内容は以下のようなものである」として、以下の話が紹介されている:

猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。

 そうか、単にウサギが杵を持ち臼で餅を搗いているといった、呑気な話なんかじゃなく、「玉虫厨子」に描かれる、「捨身飼虎」図の物語を連想させる、哀しくもありがたい話があったのだった。
 今度からは、満月の夜には、もっとしみじみ、眺めてみたい。

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