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2016/10/07

ウィトゲンシュタイン著『ラストライティングス』を体験する

 一昨日、ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著『ラストライティングス』を読了。
 小生は、大学の卒論にヴィトゲンシュタイン(の言語論)を選んだ。

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← ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著『ラストライティングス』(訳:古田徹也 講談社) 「ウサギ=アヒル頭」図。見方によっては、ウサギにもアヒルにも見える絵。では、「これはアヒルだ」と一瞬ひらめく現象とは、なんなのだろうか。ウィトゲンシュタインが「アスペクトの閃き」と表現するこの体験に関する考察から導かれる哲学とは? 他人が「痛みを感じている」ことと「痛い振りをしている」こと―言語、心、知覚、意味、数学など終生を貫くテーマが凝縮された注目の遺稿集

 高校三年の頃からヴィトゲンシュタイン(今は、通常、ウィトゲンシュタインと表記するのが正しいとされる。自分の中で勝手にヴィトゲンシュタインと呼称している!)に魅入られてきた。仙台での大学生の一時期など、ヴィトゲンシュタインのある写真に刺激され、敢えてベージュ色の、いかにも(我ながら)ダサいジャンパーを羽織って、ヴィトゲンシュタインを内心気取っていた。

 彼の『論理哲学論考』は、自分にとっての愛惜の書、宝石のような本である。
 大学を卒業してからも、翻訳された彼の本は可能な限り読んできたものだった(彼についての評論の類は、ほとんど無視)。最近も、『秘密の日記』 (春秋社)を読んだばかりである。

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← ウィトゲンシュタイン【著】『論理哲学論考』(野矢 茂樹【訳】 岩波文庫) 「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」―本書は、ウィトゲンシュタイン(1889‐1951)が生前刊行した唯一の哲学書である。

 若いころは、彼の独自の宗教観や(音楽などの)芸術館に共感してきたが(あるいは今も!)、それより大切なのは、あるいは彼に何故に惹かれるかを考えると、読みを重ねるにつれ、むしろ別の点にあるのだと思えてきた。

 それは、彼が独自の哲学説を唱えたことにあるのではなく、どの本においても、彼の独自の哲学する姿勢が垣間見えることにある。
 というか、彼の哲学する姿勢がそのままに如実に示されていることに、彼の本(哲学)の特徴があり、それが魅力となっているのだ。
 恐らくは彼の日常そのものが哲学することにイコールとなっているのであり、そうした哲学する日常がそのままドキュメンタリー風に集約され、本という形に凝縮されたというべきなのだ。

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← ルートヴィヒ ヴィトゲンシュタイン (著)『反哲学的断章―文化と価値』(丘沢 静也 (翻訳)  青土社)

 思考の結果が論述されているのではなく、思考そのもの、試行錯誤そのものがホットなままに提供されている。
 彼の本に、卒なく要約されるような、何等かの説を求めるのは不毛だし、見当違いだろう。
 そうではなく、何かこだわったテーマをとことん探求する、そのプロセスそのものをこそ、思考する厳しさと真剣さそのものを体験すべきなのだ。
 

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