行く我の肩を叩くかホトトギス
寒い日が続いている。十月の上旬なのに、最高気温でも寒いくらい。
今日、とうとう、熱いお茶を飲んだ。
→ 今朝、家を出ようとしたら、庭先に杜鵑草(ホトトギス)の花が一斉に咲きだしていた。密生していて、肩先に花たちが触れてくる。いよいよ秋も深まっていく。人恋しい秋。
行く我の肩を叩くかホトトギス (や)
いつもは冷やして飲むのだが、熱いと、いかにもお茶、日本茶という旨みや風味を感じる。
そして、夕刻からは、暖房を使いだした。下手すると、暖房に頼り始めるのは、去年より一ヶ月は早かった気がする。
自宅ではやや重め…というか、ハードカバーの本を読んでいる。
一方、車中では、どうしたって仕事の合間合間に読むので、細切れの読みにならざるをえないし、軽め…ってわけではないが、読みやすい本を選んでいる。
この数日は、AVやら性風俗関連の本。特に後者は、土壇場に追い詰められている女性たちの、悲惨な現状が示されていて、深刻である。
知的な障害だったり、肉体的な劣等(感)だったり。想像以上に生活保護などを受けているのだが、生活費をうまくコントロールできない人が多い。
← 森林原人著『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』 (講談社文庫)
セックスが大好き。何よりも好きだし楽しい。自分も相手も互いに気持ちよく。そんな大好きなことを仕事の形でとことんやっちゃう。ダンスやスポーツや勉強や音楽、料理、職人だと、好きなことに専念し、それを仕事とするのは、儲かるかどうかは別として羨ましいと思われるだけだし、一定の社会的認知も得られる。けれど、それがAV男優だと、あるいはAV女優だと(猶更か)、社会的な評価は得られない……だけじゃなく、なかなか公には職業名は出せない。
セックスが好きで、何人もの女性(あるいは男性)と濃厚なセックスができるといっても、いざ、仕事となるとどんな相手とHするか知れないし、嫌悪すべきメニューである可能性もある。H三昧は楽しそうだが、仕事として義務となると、体力も要るし、相手が誰だろうとセックスに打ち込むのって、想像以上に大変だろう。でも、やはり、傍から見る限りは羨ましい……と思いつつ、何もできない自分は、ビデオの形で、あるいは妄想の中でH三昧の日々を垣間見るのである。ホント、セックスが大好きで、セックスを仕事に出来るのは幸せと公言できることが羨ましい……というか、妬ましい。
← 坂爪真吾著『性風俗のいびつな現場』 (ちくま新書) 「妊婦や母乳を売りにするホテヘル
わずか数千円で遊べる激安店 四〇から五〇代の熟女デリヘル…… 店舗型風俗が衰退して以降、風俗はより生々しく、過激な世界へとシフトしている」とか。
貧困の連鎖の果ての、貧困困窮女性たちの最後の砦でもある性風俗。追い詰められた女性たちを泥沼から救うには、単に風俗店から抜け出させるだけじゃダメ。性風俗と福祉との連携が必要。風俗から足を洗った後の道筋を立てないと本当の救いにはならないからだ(自分で生活費の管理ができない女性が多い)。驚いたのは、ギリギリの(安売りが売りの)風俗店に、精神的肉体的障碍者が実に多いこと。そうした人たちが一般社会で生きられず、最後の選択として風俗店に駆け込んでくる。
けれど、一旦、嵌まったら抜け出すこともできない。しかも、風俗店の中でも無理やりの性的虐待を受けがちだが、店長も含め、誰も助け出すことはできない。
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