鏝絵を芸術の域にまで高めた竹内源造
雨の中、暇の徒然に車中でふとテレビを見ていたら、「鏝絵(こてえ)」を紹介していた。
というより、竹内源造(1886~1942)という名の、小杉左官の名工の作品を紹介していたのだ。
全くの初耳、初見である(と思う)。
→ 千光寺は、「閻魔像を安置する寺としてもよく知られる」とか。閻魔さまは、「日本の仏教においては地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている」らしい。これは、源造の作品ではない。 (画像は、「千光寺 (砺波市) - Wikipedia」より)
「射水市|公共施設一覧|竹内源造記念館」によると、「鏝絵とは、建物の壁や天井の装飾として、左官が壁を塗る鏝(こて)を用いて絵や模様を浮き彫りにしたもので、使用する材料から漆喰彫刻ともいわれてい」るとか。
「竹内源造は、小杉左官の中でも卓越した技術と芸術性を持ち、県内外の土蔵や寺社、企業、役所等に数多くの作品を残しました」という。
← 「千光寺の土蔵」 黒漆喰土扉には、「松と鷹」を描いた源造の鏝絵がある。高肉彫りの手法が取られている。
「竹内源造記念館|竹内源造の生涯と作品」によると、「源造は東京の帝国ホテル(初代)や中国大連の銀行建物など、国内外を代表する建築物に携わる一方、富山県内の施設・民家の土蔵・絵馬など幅広い作品を残しました」とも。
「竹内源造記念館」には、「アカンサス模様の装飾鏝絵」や、日本最大の鏝絵作品である「「双龍(そうりゅう)」、「壁面から60センチメートルにわたって盛り上げた技術は、現在復元することができないとされてい」る、「鳳凰の装飾があ」るとか。
さらには、「目にガラスをはめる「玉眼(ぎょくがん)」の技法が取り入れられてい」る、「射水市二口にあった旧家の洋間を飾っていた唐獅子」なども。
→ 「千光寺の観音堂」 「檀家の村人たちが寄進した扁額があ」るとか。「鏝絵細工を探す旅 ~ 黒漆喰を巧みに使い色彩効果が際立つ千光寺の蔵(富山県砺波市) 職人の遺した仕事」によると、「扁額を制作したのは竹内源造で、檀家の人たちが千光寺の土蔵に描かれたみごとな鏝絵に感動し、源造に制作を依頼したという扁額」だという。
番組によると、源造作品を多く見ることが出来るお寺として、「千光寺(せんこうじ)」が紹介されていた。
「千光寺 (砺波市) - Wikipedia」によると、「千光寺は、富山県砺波市にある真言宗の寺院」で、「開基は大宝3年(703年)といわれ、安居寺(南砺市)とともに砺波地方でもっとも古い寺とされる」とか。
また、「浄土真宗の多い富山県にあって真言宗の寺院は珍しく、その中でも特に古い伝承と多くの寺宝を保持しており、越中真言の古刹として著名である」らしい。
「鏝絵細工を探す旅 ~ 黒漆喰を巧みに使い色彩効果が際立つ千光寺の蔵(富山県砺波市) 職人の遺した仕事」によると、「一時は、皇室の勅願所として隆盛を極めましたが、永禄年間(1558-70)に越後の上杉謙信勢の兵火ですべて焼け落ちました」とか。
← 千光寺の土蔵で見ることが出来る、鏝作品「丹頂鶴」。テレビでも紹介されていた、番(つがい)の鶴は、浮彫風で、迫力がある。 (画像は、「鏝絵細工を探す旅 ~ 黒漆喰を巧みに使い色彩効果が際立つ千光寺の蔵(富山県砺波市) 職人の遺した仕事」より)
さらに同上のサイトによると、「観音堂に檀家の村人たちが寄進した扁額があります。扁額を制作したのは竹内源造で、檀家の人たちが千光寺の土蔵に描かれたみごとな鏝絵に感動し、源造に制作を依頼したという扁額です」とある。
千光寺の存在も、鏝絵を芸術の域にまで高めた竹内源造なる人物のことも、昨日、たまたま視聴したテレビで初めて知った。地元・富山の人はみんな知ってるのだろうか。常識なのだろうか。
我が郷里の富山のことなのに、まだまだ知らないことがいっぱいありそう!
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