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2016/08/12

『橘曙覧全歌集』を詠む

 昨年、失敗したスイカは、今年はほぼ大成功。なかなかの収穫を見た。
 一方、同じく昨年失敗したトウモロコシだが、今年も大失敗に終わった。昨年は、収穫寸前に鳥に啄まれて収穫なし。

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→ 「橘曙覧記念文学館」 福井県福井市の愛宕坂の旧居「黄金舎」跡に作られた顕彰施設。 「橘曙覧 - Wikipedia」参照。

 なので、今年は、ネットを被せるなど、鳥対策は万全。だが、失敗とはこれ如何。
 実は、収穫が遅きに失したのである。ネット取り払ってトウモロコシの実の生り具合をみたら、なんだか悪い予感。トウモロコシの実は、茶褐色に変色し、しかも、パサパサに乾いている。
 いざ、手に取って、茶褐色の皮を剥いて中を見たら、中の実は干からびて、それこそ悲惨な状態に。
 トウモロコシの収穫の時期を見誤ったと言うしかない。
 ネットがかぶさっているし、畑の一番奥にトウモロコシ畑を設けたことで、小生の監視の目を逃れてしまったのだ。
 ああ、情けなや!
 
 キュウイの実も、既にたっぷり生っているので、これだけは収穫の時期を見誤ることはしたくない。

 さて、今朝、『橘曙覧全歌集』を通読した。読みだしては中断を何か月も繰り返していた本書を、ようやく読了したのである。
 寝床に持ち込んで、あるいは車中に持ち込んで、などといろいろ工夫してのようやく。

 まあ、こういった歌集というのは、音楽の鑑賞、絵の鑑賞と同様、読了とかなんとかではなく、楽しんだかどうかなのだろう。読み通したからといって、楽しめた、あるいは通読したという言い方が通じるのかどうか疑問のあるところだ。

 本書の存在、あるいは、橘曙覧(あきみ)の存在を知ったのは、そんなに遠い昔ではない。
 皇后さまとのかかわりがある。といっても、小生ごときが顔見知りのわけがない。

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← 『橘曙覧全歌集』(橘 曙覧【著】/水島 直文/橋本 政宣【編注】 岩波文庫) 「「独楽吟」の連作で知られる幕末の歌人・国学者、橘曙覧(1812‐68)は、清貧の暮らしの中から、生活・社会・自然を自由奔放に詠み、近代短歌の先駆として高い評価をうけている」とか。

橘曙覧 - Wikipedia」によると、「1994年、今上天皇、皇后がアメリカを訪問した折、ビル・クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で、この中の歌の一首「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用してスピーチをしたことで、その名と歌は再び脚光を浴びることになった」とある。
 まさにこの際に、橘曙覧(の歌の世界)に目を見開かれたのである。

 ちなみに、上記の転記文にある歌とは、「彼の歌を編纂したもので『独楽吟』(どくらくぎん)がある。どれも「たのしみは」で始まる一連の歌を集めたものである」とあるもの。紹介されている歌「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」もその一つ。
 僭越と言うか、生意気を言うと、皇后さまの歌集もいつか手に入れたいと思っている。

 橘曙覧は、「橘諸兄の血筋を引く橘氏の家柄と称し、そこから国学の師である田中大秀から号として橘の名を与えられ、橘曙覧と称した」なんてことも、本書を読んで初めて知ったこと。

「正岡子規はこれに注目して1899年(明治32年)、「日本」紙上に発表した「曙覧の歌」で、源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛し、「墨汁一滴」において「万葉以後において歌人四人を得たり」として、源実朝・田安宗武・平賀元義とともに曙覧を挙げている。以後、子規およびアララギの影響下にある和歌史観において重要な存在となる」なんてことも、初耳のこと。
 それだけ偉大な歌人であり、稀有な書家なのだ。

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← 『皇后美智子さまのうた』(安野 光雅 朝日新聞出版) 「美智子皇后様のお歌 ②」参照。

 古代以来の伝統や和歌の素養をも踏まえ、同時に、近代人の感覚も濃厚に漂ってきている。
 或る意味、俵万智が『サラダ記念日』で歌の世界に新風を巻き込んだ以上の変化を起こしたのかもしれない。


 本書にも当然、載っているが、「清貧の中で、家族の暖かさを描」いた、「次のような歌」(「橘曙覧 - Wikipedia」より)を詠むと、幕末の歌人とは思えない清新な感覚の漲っていることを感じるだろう:
 

たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時
たのしみはまれに魚煮て兒等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時
たのしみは空暖(あたた)かにうち晴(はれ)し春秋の日に出(い)でありく時
たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつゞけて煙草(たばこ)すふとき
たのしみは錢なくなりてわびをるに人の來(きた)りて錢くれし時

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コメント

すごく真っ直ぐな歌ですね。
直球ストレートという感じ。
心のど真ん中に入ってきます。
ものの見方もポジティブで元気づけられますし。
トウモロコシは残念でした。
実家では、よく買ってきたものを茹でていたっけ。
私は一度も買ったことがないので、懐かしいです。

投稿: 砂希 | 2016/08/13 09:33

砂希さん

橘曙覧は、万葉集など、古代の心を深く理解し、古代の人の表記で表現する能力を有しつつ、近代人らしい(我々にも親しみをもって理解可能な)心性を表現できる。

トウモロコシ、悔しいです。あと一歩だったのに、出来ていたのに、みすみす収穫の機会を逃してしまった。
来年こそ、成功させたいです。
次は、キュウイとクリと柿です。
キュウイって、いつ収穫すればいいのか。

投稿: やいっち | 2016/08/14 21:42

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