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2016/08/07

核兵器は生命一般への脅威であり敵である(前篇)

 この5日・6日と、広島の原爆慰霊の旅に行ってきた。ある団体の一員として、参加を申し出、許可されたのである。

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→ 広島平和記念公園内に生息する、被爆した樹木のアオギリ。1945年8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆。爆心地から約1.30キロメートル離れたところに位置した。(「被爆アオギリ - Wikipedia」より)

 広島の原爆慰霊の旅へは一度は行きたいと思ってきたが、いざ行くとなると、富山からはあまりに遠い。
 こうした機会がないと、今後も行けないに違いないと、思い切って手をあげた。
 原爆や原子力発電については、これまでも本ブログで問うてきたし、それなりの省察も重ねてきた。
 この度、慌ただしいとはいえ、慰霊の旅に行く機会に恵まれた以上は、原爆について、過去、やや断片的に考えてきたことを、集中的に考察する機会にしたいと思っていた。

 よく、演説や講演などで、広島は人類初の原爆が投下された地、などと紹介されるが、それはあまりに舌足らずである。
 敢えて、アメリカ(という国の名または軍)という固有名は出さないまでも、広島は、ある国が人類に初めて原爆を投下した地なのである。
 人間が人間に原爆を投下したのである。

 投下した理由は、仄聞するところ、戦争を一刻も早く止めさせるため(戦う意欲を失わせるため)、あるいは、アメリカ軍が日本本土に上陸することで、沖縄戦の拡大版を回避し、アメリカ軍の戦闘犠牲者の数を減らすため、などとされる(日本の軍人や、まして民間人の犠牲者を減らすため、という理由は全く脳裏に浮かばなかったようだ)。
 この辺りの、何故に日本に最初に、だったのか、何故に広島や長崎に、だったのかの理由の追及は、今日は本稿では避けておく。

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→ 原爆ドームを遠望する。「原子爆弾は原爆ドーム(当時は広島県産業奨励館)から南東約160メートルの高度約600メートルの位置で炸裂」した。

 原爆が実際的には民間人をターゲットにした、その意味で実験的なものであり(アメリカ軍は、終戦直後、広島で原爆の威力を徹底的に調査し、放射能汚染の調査も行った。あるいは、米軍映画撮影隊による物理的被害状況の撮影が行われた。これらの事実は、まさに原爆投下は実験だったことの証左であろう)。
 だが、民間人を無差別に虐殺するという意味合いでは、その悲惨さ残虐さの意味では、アメリカ軍による空襲ほどに残虐なものはない。逃げ惑う民衆の姿を眼で確認しつつ、焼夷弾を投下し、あるいは機銃掃射を行ったのだから。
 その意味で、やはり、原爆と一般の火器や焼夷弾との違いは、規模の違いに矮小化されかねないわけである(ベトナムでの北爆の残虐さを見よ!)。

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コメント

「日本も、アメリカの核の傘のもとにあり」 ― これに敢えてコメントすると、この考え方は冷戦解凍後に放棄されていますね。核大国のロシア、中国が東京に核弾頭をぶち込んでも合衆国は甘んじて受けます。それよりも両国との友好関係や経済が国益に適い、更に本気で構えることは合衆国に被害を齎すだけです。要するに核の傘は過去のものです。

北朝鮮のは、向こうが使えば容易に破壊できます。ですから核のバランスはそもそも取れていません。これも傘に当たりません。要するに日本を守る核の傘は四半世紀前に無くなっているという事です。

それならばなぜ未だにこうした概念が存在するかというと、それは日米安保条約死守と日本の核保有の可能性を捨て去りたくないからなのです。北朝鮮とは速やかに友好関係を結ぶことが安全保障上のみならず経済・地勢学的にも最も将来の日本の国益に敵っているでしょう。

投稿: pfaelzerwein | 2016/08/08 22:12

pfaelzerwein さん

核の傘論については、全くの不勉強ぶりを曝け出しています。
「戦争抑止については核兵器保有国と非保有国との間で成り立つと考えられた。これは冷戦初期のアメリカ合衆国のみが核保有国だったころに強い支持を受け、事実、核戦力一辺倒に傾倒し、朝鮮戦争においては兵力に不自由するほどの通常戦力の減勢を行った」とか。
一方、「核の傘は、アメリカまたはロシア(1991年以前はソビエト連邦)が、同盟国に対する核攻撃に対して、核による報復をすることを事前に宣言することで、核攻撃の意図を挫折させる理論である。これは、冷戦が終わった現在でも存在している」とも。

実際のところ、「現代においてもアメリカは核の傘の存続を明言している。ただし、もし現実に同盟国が核攻撃を受けた場合、アメリカが何千万もの自国民が死亡する危険を覚悟した上、核による報復という軍事的選択を行うかは別の問題である」。
北朝鮮が日本や韓国に、あるいはアメリカなどに核ミサイルを放つかどうか、分からないけど、アメリカ本土が狙われない限り、北朝鮮の攻撃を受けても、よほど冷静に慎重に、反撃の方法を考えるのでしょうね。
核の傘幻想が日本の将来の核武装を年頭に置いた戦略だというのは、がっかりですね。
ヒロシマやナガサキのことなど、思慮の外なんですね。

投稿: やいっち | 2016/08/10 22:33

 >北朝鮮とは速やかに友好関係を結ぶことが安全保障上のみならず経済・地勢学的にも最も将来の日本の国益に敵っているでしょう

 正気ですか?大いに笑わせていただきました。
 富山でも拉致未遂事件があったと言うのに・・・
 そう言えば、風北の核開発については抗議しないんでしょうね?

投稿: エネルギー名無し | 2016/08/31 01:37

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