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2016/08/22

読書家の資質

 立花 隆著『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』を読了した。

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← スティーヴンキング著『書くことについて』(田村義進 小学館文庫) 「2001年に「小説作法」として翻訳されたスティーヴン・キングの名著を、新たに平明で簡潔な文章で訳した新訳版」だそうな。

 こういった本は、個々の文章が短いし、著者の語り口も歯切れがいい、その上、話題が豊富で興味深いわけで、車中での待機中に読むに最適の本だ。
 実際、四百頁足らずの本だが、三度の営業の待機中に一気に読めてしまった。

 著者は有名だから紹介する必要はないだろう。
 資質的に小生とはかなり違う(能力の面での違いは言うまでもないとして)。
 彼は、ノンフィクション系の本が好みのようだ。
 実際、フィクション系は、三十代前半以後、総じてつまらんと思うようになり、現実生活でもほとんど読んでいないと、まえがきで書いている。

 例えば、立花氏は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は、高3のときに一度、その後は、部分的に読んだだけと語っている。
 小生はと言うと、ドストエフスキーの小説は、全作品を読んだ。だけじゃなく、一番少なく読んだのは「未成年」で、それでも三回は読破している。そのほかの作品は、大作群を含め、全て四回以上読んでいる。
 一番好きな「罪と罰」は日本語訳だけでも五回、英訳でも一回、読んだ。

 この辺りは、資質だろう。以前、立花氏と埴谷雄高氏との対談を読ん(だか、テレビで視聴した)ことがある。かみ合わないなーと感じていたっけ。その埴谷の本は、高校時代から社会人にかけて、片っ端から読み倒してきたが、立花氏が埴谷の本を読んで楽しむ……という光景は想像がつかない。

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← 『ジョージ・エリオット全集 5 ロモラ』(ジョージ・エリオット 著, 原 公章 訳, 海老根 宏 監修, 内田 能嗣 監修 彩流社) 「ロモラ 彩流社」参照。彼女は、小生の大好きな作家。二週間を費やして、ようやく半ばまで読み進んだよ。

 まあ、フィクションの楽しみは何処にある……という議論は別にして、資質の違う立花氏の本を読む値打ちは何処にあるか、というと、興味はあってもなかなか手の出ない情報系(ノンフィクション系)の本の情報をまとめて得られるという点にあろう。

 立花氏は、書評として採り上げるに値する、人に紹介するに値する本を選んでいるとか。今回、本書を読んでショックだったのは、それなりに平均よりは読書好きのはずの小生なのに、本書で採り上げてある本で、自分が読んだことのある本が数えるほどしかないということ。

 能力や才能の違いはあるにしても、あまりの読書力の違いに呆然としてしまう。

 本書で採り上げてある本で、かなりの本……というより、大半の本はいずれ読みたいと感じさせられたが、現実的には、既に積読の本も溜まっているし、今後も手が出ないに違いないのだろうと思うと、淋しい気がする。
 まあ、小生の読書の半分は、フィクション系で、この方面だけでも、今後読みたい本が山積みなのだから、今は淡々と目の前の本を読んでいくだけ。

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← 立花 隆著『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』(文春文庫)

 ちなみに、いま、自宅で読んでいるのは、ジェームズ・ジョイスの「ユリシーズ」の第二巻と、ジョージ・エリオットの「ロモラ」である。「ロモラ」は、1994年の失業時代、図書館通いして本を借り倒している中で<発見>した作家であり作品で、この度、本を入手し(高かった!)、再読しているのである。

 車中では、スティーヴンキング著の『書くことについて』を読み始めたところ。
 こうしてみると、今は文学系に偏しているようだが、これはたまたまであって、積読本にはポピュラーサイエンス系の本が目立っている。
 ノンフィクションも読みたいが、フィクションもこだわっていきたいという欲張りってことか。

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