トナワ 今年もダメでした
我が家には小さな畑がある。それこそ、十メートル四方もあるかどうかのささやかな畑である。
→ もと、我が家の田圃だった辺り。やがて少しずつ、近所の方たちの畑へと変貌していく。我が家も、ほんの一角を畑として使わせてもらっていて、そこにトナワを植えた。画像は、拙稿「案山子…去年の田は」(2005/10/01)を参照のこと。
我が家は(少なくとも)明治以来、ずっと農家だった(本家は江戸時代の初期か、戦国時代の末期以来。武田方と上杉方との戦いで負けて、百姓になったと仄聞している)。
作物の大半は米…と、ずっと思い込んできたのだが、小生が物心つく前には、小麦も作っていたらしい。
そういえば、今でも富山市の平野部の農地には、米もだが、小麦も結構目立つことに、遅まきながら気づいたものである。
だが、小生が物心ついたころには、田圃しかなかった(という記憶しかない)。
我が家には馬小屋があった(当然ながら馬も飼っていた)なんてことなどは、以前、本ブログで縷々書いたことなので、今日は省く。
その田圃だが、徐々に手放していって、約十年程前、家の目の前にあった、最後の田圃も稲作を放棄し、やがて間もなく近所の方に売り払った(らしい)。
その元田圃は、今では、土地の管理を前提に、近隣の方々の畑として活用されている。
我が家の畑というのは、家の敷地(庭)の一角にあるもので、少なくとも小生が物心付いたころから畑として活用されていた。
畑では、普段は母が作業していて、よく、肥溜めの肥料を肥え桶に溜め、畑に持って行って、柄杓で畑に撒く姿を見たものだし、畑にはナスやキュウリ、大根、ネギなどのいろんな野菜と共に、イチゴなども植えられていて、へえー、こんな畑でイチゴが獲れるなんて…なんて、不思議がっていたものである。
(庭には、柿、ミカン、キュウイなどの果樹も、杉や松などの植木に混じって育てられていた(今も、ミカンや柿などは健在である。小生が何もしなくても勝手に育ってくれる。)
スイカやタマネギなどと共に、トウモロコシも植えられていて、夏場など、母が茹でたトウモロコシを食べるのが楽しみだった。
そのトウモロコシ、昨年から小生も挑戦している。
苗を買ってきて、元田圃だった一角に植えて、初夏には立派に育ち、収穫寸前までいった……のだが、恐らくは鳥たちに啄まれ、全滅に終わった。
悔しい。
リベンジということで、今年もトウモロコシ作りに挑戦した。
今年は、苗を植えた直後に、周囲に冊を巡らし、さらにネットを二つも被せて、鳥対策は万全だった。
実際、折々、ネット越しにトウモロコシの育ち具合を確かめ、順調だし、鳥に食われたりもしていないことは確認を怠らなかった。
さて、数日前、ちょっと間が開いたのだが、久しぶりにトウモロコシの具合を見に行って、なにやら異変に気付かされた。
急いで冊やネットを外して、トウモロコシの実を見たら…、もうとっくに茶褐色に変色し、恐る恐る茶褐色の皮を剥がしてみたら、中身は干からびて、悲惨な状態に。
収穫が遅きに失したのである。
鳥からの防御のためのネットが災いし、中の状況が遠目には判然としなかったのだ。
というか、自分の怠慢の故に、つい、育ち具合の確認を怠り、時期を逃してしまったのだ。
収穫まであと一歩だったのに。
悔しいので、来年も挑戦すると心に決めている。
ところで、トウモロコシと、ずっと表記してきたが、ガキの頃、小生はトウモロコシじゃなく、トナワと呼んでいた気がする。
というか、お袋など親たちはトナワと呼んでいたから、自然と自分もそう呼ぶようになっただけである。
あるいは、トナワというのは、方言なのか……
← こんなに立派なネットを二重に張ったのだが…
「トウモロコシ - Wikipedia」によると、「日本語で標準的に用いられている呼称の「トウモロコシ」という名称は、トウは中国の国家唐に、モロコシは、唐土(もろこし)から伝来した植物の「モロコシ」に由来する」とか。
また、「日本語では地方により様々な呼び名があり、トウキビまたはトーキビ(唐黍)、ナンバ、トウミギ、などと呼ぶ地域もあ」り、「コーン (corn) ともいう」ようである。
ところで、「トウモロコシ - Wikipedia」によると、 岐阜県、富山県などでは、「とうなわ」と呼ぶとしてあるが、小生としては、違和感がある。
記憶にある限りでは、「トナワ」だったのだ。
「室町時代飛騨・富山方言の対比検討:とうもろこし」によると、「とうもろこしを飛騨弁ではトウナ、富山弁ではトナワ、といいます」とある。
そう、やはり、富山弁では、「トナワ」なのだ。こっちのほうがしっくりする。
さらに、同上サイトによると、「トウモロコシほど全国でさまざまな言い方で呼ばれる言葉は無く、約百六十余とか」!
以下、同上サイトには、興味深い説が載っていて、「富山弁は飛騨弁以上に速くて、短しをよしとする 方言であるという事」など、同感納得させられた。
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