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2016/06/09

岩峅寺と磐座信仰?

 雄山神社は、「霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった」(「雄山神社 - Wikipedia」より)。

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→ 雄山神社 峰本社 神殿・鳥居 遠景 (画像は、「雄山神社 - Wikipedia」より)。

「峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、前立社壇(まえだてしゃだん)の三社をもって雄山神社と」し、「所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から岩峅寺(いわくらじ)にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である」。

 雄山神社前立社壇社務所の住所は、富山県中新川郡立山町岩峅寺(いわくらじ)1番地である。

 また、「創建の年代は不詳である。社伝では、大宝元年(701年)に景行天皇の後裔であると伝承される越中国の国司佐伯宿祢有若の子、佐伯有頼(後の慈興上人)が白鷹に導かれて岩窟に至り、「我、濁世の衆生を救はんがためこの山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり」という雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山であると言われている」とか。

 なお、「岩峅寺及び芦峅寺の「峅」と言う文字には「神様の降り立つ場所」の意味がある」とか。

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← 雄山神社 前立社壇 俳壇 (画像は、「雄山神社 - Wikipedia」より)。

 さてようやく、本題らしき話に取り掛かれる。
 過日、村井康彦著の『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて』を読んだ。
 

実にポレミカルで面白い本だと思ったが、本書については、SNSサイトで以下のように呟いたことがある:
古代史や記紀神話を扱った本は、それなりに読んできたけど、かなり独創的な本。論争を呼びそうな内容。出雲神話と邪馬台国、原大和王権、本格的な大和王権との絡みを興味深く説いている。ただ、邪馬台国畿内論で多く見られる「魏志倭人伝」で、「水行十日、陸行一月」の方角を<南>と記されているのを、これでは南方の海上に至ってしまうからと、<東>との誤記だとしている点。筆者も<東>だと解釈し、瀬戸内海ではなく、日本海を経て、大和国(奈良県)に至ったとする。門外漢ながら、都合が悪い記述を勝手に読み替えることには、抵抗を覚える。

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→ 芦峅寺 雄山神社中宮祈願殿 (画像は、「芦峅寺 - Wikipedia」より)。

 ただ、本書についてこれだけで済ますのは勿体ない気がした。といって、あれこれ論じられるほど、見識も学識もない。
 一点だけ、本書の中の、「磐座信仰」の章が上記の岩峅寺との兼ね合いで、本ブログにて触れておきたくなった。
「磐座」は、「いわくら」と読む。岩峅寺は、「いわくらじ」である。岩峅には、何か、「磐座」に関係する語源的な、あるいは歴史の謂れ的な何かがあるのではないか、というやや強引な推測とも呼べない憶測を逞しくしたわけである。

 本書から「磐座」に関係する記述を示すと、「磐座信仰」は、そのまま出雲系統の祭祀=信仰を表徴する(「磐座信仰」は、鉄などの鉱山生産とかかわりがある)という。
磐座 - Wikipedia」によると、「磐座・磐倉・岩倉(いわくら)とは、古神道における岩に対する信仰のこと。あるいは、信仰の対象となる岩そのもののこと」とある。
 さすがに、岩峅は、載っていない。

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← 村井康彦著『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて』(岩波新書)

 さらに、「磐座 - Wikipedia」によると、「日本に古くからある自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)であり、基層信仰の一種である。神事において神を神体である磐座から降臨させ、その依り代(神籬という)と神威をもって祭りの中心とした。時代とともに、常に神がいるとされる神殿が常設されるに従って信仰の対象は神体から遠のき、神社そのものに移っていったが、元々は古神道からの信仰の場所に、社(やしろ)を建立している場合がほとんどなので、境内に依り代として注連縄が飾られた神木や霊石が、そのまま存在する場合が多い」とも。

 古代の「磐座信仰」の人々が立山(連峰)を目にしたとき、立山や雄山という山々を磐座と見立てたとしても不思議はない。雄山のある地名が岩峅なのも、何かそうしたかかわりで生まれた地名なのではないか、と、一瞬、閃いたのだが、さすがに文献や遺跡などでの裏付けは小生には至難のようだ。
 残念。

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