野菜嫌いの野菜作り
小生、根っからの野菜嫌いである。
いつから嫌いだったのか、覚えていないが、物心付いたころには、牢固たる野菜嫌いに。
我が家は実は、農家だった。
田圃もあれば、畑もあった。あった……。
そう、過去形である。今でも、畑は残っているが、正確に計測したことはないが、9メートル四方かどうか。
田圃は、明治以来の農家なので、それこそ、昔は何反もあったが、十年程前までに全て放棄した。
地元の各地に、あそこも、ああ、ここも我が家の田圃だったという場所がある。今では住宅地や道路に変わり果てているが。
そんなことは、もはやそこに住む誰だろうと、知る由もない。
田圃は父母をメインに、時には家族総出で。
畑(や庭)は、主に母が世話していた。
畑で働く母(や父)の姿は今でも目に焼き付いている。
どんどん狭くなっていく敷地の中、財産らしきものは何も残っていない。その代り、借金も残さなかったので、文句は言えない。
そんな中、辛うじて、遺産めいたものがあるとしたら、狭い畑である。
六年ほど前に父母が亡くなり、家の主となった小生は、せめて畑だけは、畑として残していきたいと思っている。
野菜嫌いなのに!
作った野菜は、ほぼすべてを人にあげてしまう。自分では食べない。以前は、ナスやキュウリなどを浅漬けにしたり、ゴーヤを育てて、ゴーヤチャンプルを作ったりしたが、太り気味なこともあり、塩分の摂りすぎはまずいだろうと、数年前から浅漬け作りも止めた。
ナスもキュウリもネギもトマトも、全て、作るだけ。
スイカは昨年、(一昨年の秋に捨てたはずの小さなスイカの中の種から育ったらしい)勝手に育ってきたので、さすがに食べた。美味かった!
味を占め、今年はスイカの苗を植えた。今のところ、スクスク育っている。
昨年は、収穫寸前に鳥に食われてしまったトウモロコシ。もう、作らないと思っていたのだが、悔しいので今年もトウモロコシは二株だけ育てている。気が早いことに、もう、ネットをしっかり被せている。
まあ、スイカやトウモロコシは、野菜ではない。野菜のナスやキュウリなどは、今年も作りっぱなしだろう。
ガキの頃、野菜嫌いどころか、食事拒否になって、食べられるのは、ご飯に塩とか、ご飯にマヨネーズ、くらいしか食べられないようになった。
食卓には、農家だけあって、畑で採れたばかりの野菜を調理したオカズが並ぶ。ミソも自前。漬物も本格的。梅干しも自前。
今思えば、なんと贅沢な食卓だったことか。
そうそう、毎日のように、魚屋さんがトラック(かリアカー)に積んで新鮮な魚を売りに来る。茶の間の出窓のところまでやってくるので、出窓の付近で母がお兄さんと交渉しているのを、できれば出前がいいのになー、なんて贅沢でわがままな思いを募られていたものだ。
ガキの頃の極端な偏食は多少は治ったが、それでも、野菜嫌いは克服できない。
今に至るも引きずっているわけである。
三十歳ころまでは、食堂で、ラーメンを注文しても、ネギやシナチクは取り除いて食っていたものだ(今は、大丈夫)。
学生時代、最初の二年は二食の賄い付きの下宿だった。最初の日の夕食に、中華丼が出た。
載っている玉ねぎも人参もピーマンもタケノコも何一つ食べられない。
しかし、一方で見栄っ張りというか、野菜嫌いを指摘されるのが嫌で、涙を呑んで、吐き気を堪えて何とか喉に流し込んだ。
上記したように、野菜嫌いは相変わらずだが、不思議なことに、八宝菜(中華丼)は嫌いじゃない。
乗っかっている、玉ねぎも人参もタケノコも嫌いなのだが、中華丼(八宝菜)だと食べられる。
いや、野菜炒めだってOKになっている。
ただ、ナスやキュウリ、タマネギ、ニンジンは、調理したら、もうダメだという偏食は変わっていないのだ。
さて、野菜嫌いのままってわけにはいかないので、野菜を口にするため、カレーやギョーザなどを食べるようにしている。あるいは、ガキっぽいが、ハンバーグやシチューも好きである。
それらの中の具材は、野菜が入っているに違いないと、期待してのことである。
とにかく、野菜嫌いだろうと何だろうと、野菜作りは、体の動く限り、続けていくつもりである。
驚いたことに、「野菜嫌い - Wikipedia」なんて項目もあるんだね。驚くほうが世間知らずなんだろうけど。
「ネギ坊主が立派なわけは…」
「野菜畑から果樹園へ?」
「野菜の畑に!」
「野菜の収穫が嬉しい」
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