正常なる幻想 異常なる明晰
車中では、ジャン・ジュネ作の「花のノートルダム」を、家ではマルタン・モネスティエ著の「図説 奇形全書」や「シュレーバー回想録―ある神経病者の手記」 (平凡社ライブラリー)を読んでいる。
← カトリーヌ・ランヴァゲン(Cathrine Langwagen)「Elements – Fire 」 フリーランスデジタルアーティスト、あるいはグラフィックデザイナー。 スウェーデンで生まれ育つも、二十歳代には、世界中を旅してまわり、今は英国に定住している。「Cathrine Langwagen Wiki BoardGameGeek」や、「Cathrine Langwagen's Image Gallery - Digital Artist」など参照。
いずれも、心身共に危うい世界。
ジュネの「花のノートルダム」も、ひたすら負の倫理の極を目指すことで、美と真の闇の方向への美を極めていいる。「図説 奇形全書」は、基本的に実際の世界で生きた奇形(アンチモラル的存在も含め)を信ぴょう性のほどは不明ながらも、際物視せずに淡々と(?)と羅列していく。
一方、「シュレーバー回想録―ある神経病者の手記」は、神から己の神経への直接のメッセージである<光線>に影響され毒されてしまい、その真実さは、日常の現実以上に現実性が高く、もはや、神ですら彼の明晰判明さには敵わない世界へ至ってしまっている。
自分の世界も知能や感性は正常そのものだと彼自身は、微塵も疑っていない。が、周りの誰もが、妻も含め、彼が逝ってしまっているとみなしている。精神病院へ閉じ込められてしまう。
どうやって自分が正常だと訴えたらいいのだろう。誰に縋ればいい? 神すら疑わしい、信じがたいとしたら、救いはあるはずもない。
→ カトリーヌ・ランヴァゲン(Cathrine Langwagen)「Elements – Water 」 芸術性を追求するというより、日常からファンタジーの世界への相互通行可能な飛躍に楽しみを見出しているようだ。その意味で安心して、想像を膨らませることができる。
出口なしの世界。「花のノートルダム」も含め、ジュネやサドの世界も凄みを感じたが、シュレーバーを知ったその日から、自分にはどうやっても、心の窓は見いだせないという恐怖感から逃れられなくなっている。
その意味で、ここで掲げたような世界は、まさにファンタジーの世界であり、安んじて心を想像を遊ばせることができる。どんなにありえないような風景や心象世界が描かれていようとも!
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