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2016/06/29

我が家でも『高熱隧道』でもトンネル開通でした

 お風呂場から茶の間へ行こうとしたら、茶の間とお風呂場(洗面所)の間にあるドアが開かない。ドアのノブが故障した! 洗面所に閉じ込められた! ドアを開けようと悪戦苦闘数十分。

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→ ドアとドア枠を結びつけている空錠が枠に嵌まったまま。屋内のドアなので、鍵を使うタイプじゃない。

 さて、どうやって脱出したか。洗面所からは、窓を開ければ外に出られる(入浴直後なので、素っ裸だけど)。問題は、そのあとどうするか。 幸い、トランクスだけは、洗面所にある洗濯機の中に放り込んであった。まずは、トランクスを穿く。

 何処か、施錠していない窓はないか…。玄関は、夕方、入浴直前に施錠。縁側は、台所は、座敷の廊下のドアはどうか…。ドアのノブを力任せにガチャガチャやりつつ、ふと、思い出した。ある外の場所に台所の鍵が隠されていることを。もう、八年ほど、使っていないけど、そのまま置いてあるはず。

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2016/06/27

永遠と一瞬の美しき目合ひ

 夜、仕事の合間などに空の星を眺めることがある。
 遠い星。遥かな高みの星。
 あの星に人類はいつか、到達するんだろうなって。

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← お絵かきチャンピオン 作「不詳」 (ホームページ:「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」参照)

 人類は、月に達し、火星にも近い将来、立つのだろう。
 既に地に降り立ったという月の世界すら、小生のようなぼんくらには遥かに遠い世界なのだ。

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2016/06/26

137億年の孤独の海

 夜、仕事の合間などに空の星を眺めることがある。
 遠い星。遥かな高みの星。
 あの星に人類はいつか、到達するんだろうなって。
 人類は、月に達し、火星にも近い将来、立つのだろう。
 既に地に降り立ったという月の世界すら、小生のようなぼんくらには遥かに遠い世界なのだ。

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2016/06/25

「ゆかり発言」の上田正昭著『渡来の古代史』を読む

 今春、筆者は亡くなられた。古代史には素養も何もないのに、ひたすら好奇心に駆られて、いろんな学者の本を読み漁って来た。森浩一や三浦氏、大和氏など。あるいは、松本清張や梅原猛氏の諸著すら、古代史に絡むということで、図書館の本を中心に読んできたものである。

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← 上田 正昭著『渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か』( (画像は、「KADOKAWA公式オンラインショップ」より)

 そうした著者の一人に上田正昭が居た。ほんの数冊を読んだだけだが、信頼の念を以て安心して読める学者(書き手)だった。
 それだけに、何とか同氏の本を読みたいと思ってきたが、ようやく手にすることができた。

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2016/06/24

ボクのブルー

 青色が好きなのは、空の青、海の青が好きだから…なんかじゃない。
 ブルーが好きなのだ。

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← そらい@抽象画 作品名不詳。油彩かな。「sorai(そらい)」へ!

 ブルーの心が眸の中に漂っている。
 それとも、ホントはグレイの脳味噌のはずが、悲鳴を上げてヒートアップして、青く発熱しているのかもしれない。
 何も分からないのだよ。世界が揺蕩っている。どよーん、どよーんって、揺さぶられる潮のざわめきが煩いほど聞こえてくる。
 膿が浸潤して、骨も血管も腱も筋も、そして肺腑だって崩れ始めている。

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2016/06/22

常人ならざる記憶力と共感覚の世界

 精神医学の本は、読むだに驚異の念を覚えさせられる。この十年は、オリヴァー サックス著の諸著に凝って、 『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』 (ハヤカワ文庫NF) や『妻を帽子とまちがえた男』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) など、彼の本の大半を読んできた。

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→ 庭の夾竹桃、こんなに見事に咲くのは初めて。今年は、我が家の樹木の花が当たり年なのか。

 古くは、フロイトやユングの諸著を読み浸ると共に、マルグリート・セシュエー著の『分裂病の少女の手記【改訂版】』(みすず書房)やW.ブランケンブルク著の『自明性の喪失―分裂病の現象学』( 木村 敏訳 みすず書房)、R.D.レイン 著の『ひき裂かれた自己―分裂病と分裂病質の実存的研究』(みすず書房)などに心を揺さぶられてきた。

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2016/06/20

誰も信じてくれない真実の世界

 D・P・シュレーバー 著の『シュレーバー回想録』を読了した。二十年ぶりか。最初、平凡社だったかと思うが(当時、相前後して、筑摩書房からも刊行されたので、小生は、いずれの訳で読んだか、情けないことに記憶に定かではない)、出た本を読んだときは、心底、驚いた。

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← D・P・シュレーバー 著『シュレーバー回想録』(尾川 浩/金関 猛 訳 中公クラシックス) 「驚くべき妄想の世界を明晰に語り尽くした超弩級のドキュメント」だ。 (画像は、「シュレーバー回想録|全集・その他|中央公論新社」より)

 少なくとも小生などよりははるかに頭脳明晰で、当代の中でもずば抜けた頭脳の持ち主。
 それが、ある日、神の啓示とでもいうのか、神からの直接のメッセージ……<光線>とシュレーバーは表現している……が彼の神経へ直接伝えられる。

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2016/06/18

まともであることが幸せ…『奇形全書』

 著者は、今は(アメリカなどを除き?)なくなってしまった見世物小屋ならではの畸形を本の中ならではの方法で、これでもかと陳列してみせる。

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← マルタン・モネスティエ【著】『図説 奇形全書』(吉田 春美/花輪 照子【訳】 原書房) 両性具有、単体奇形、多重体奇形、機械人間……。コミカルで恐ろしい、だけど魅力的な感動あふれる創造の神秘、「奇形」の世界を、希少図版200点余とともに辿り、自然が生み出した「生」の真実に迫る。1999年刊の普及版。

 道端で見かけたら、道義上あるいは感覚的に目を背けるが、相手に気づかれないなら、とことん眺め尽くす。
 そして、あー、自分はまともでよかったーと、思わず安堵の胸を撫で下ろす。

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2016/06/16

正常なる幻想 異常なる明晰

 車中では、ジャン・ジュネ作の「花のノートルダム」を、家ではマルタン・モネスティエ著の「図説 奇形全書」や「シュレーバー回想録―ある神経病者の手記」 (平凡社ライブラリー)を読んでいる。

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← カトリーヌ・ランヴァゲン(Cathrine Langwagen)「Elements – Fire 」 フリーランスデジタルアーティスト、あるいはグラフィックデザイナー。 スウェーデンで生まれ育つも、二十歳代には、世界中を旅してまわり、今は英国に定住している。「Cathrine Langwagen Wiki BoardGameGeek」や、「Cathrine Langwagen's Image Gallery - Digital Artist」など参照。

 いずれも、心身共に危うい世界。
 ジュネの「花のノートルダム」も、ひたすら負の倫理の極を目指すことで、美と真の闇の方向への美を極めていいる。「図説 奇形全書」は、基本的に実際の世界で生きた奇形(アンチモラル的存在も含め)を信ぴょう性のほどは不明ながらも、際物視せずに淡々と(?)と羅列していく。

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2016/06/14

山ではクマが、里ではカラスが?

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← この先、十キロほど山へ入り込めば、「池ケ原湿原」。「池ヶ原湿原は、奥飛騨数河流葉県立公園内にある低層湿原」だとか。「春、約6haの湿原に雪解けを待っていたかのように、30-40万株ものミズバショウが一斉に咲き始め」るという。 山間に、尾瀬ほどじゃないだろうけど、こんな大きな湿原があるなんて。

 クマ出没情報が増えている。関連取材も増えている。クマの餌である、ドングリなどの実が減っているので、人里近くへ降りてくる、という人もいれば、実が多いから、どこへでもクマは現れる、という人もいる。昨年は実が豊富で、子育ても盛んになり、子熊も増えた。となると、母クマも神経過敏になっている、という説もある。

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2016/06/12

この一週間の呟き

野菜嫌いは相変わらずだが、不思議なことに、八宝菜(中華丼)は嫌いじゃない。乗っかっている、玉ねぎも人参もタケノコも嫌いなのだが、中華丼(八宝菜)だと食べられる。

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→ 近所の観音堂の裏手にドクダミが鬱蒼と。隣家の故人がドクダミ茶を作るために植えたのが、近所中に蔓延ってしまった。

野菜嫌いのままってわけにはいかないので、野菜を口にするため、カレーやギョーザなどを食べるようにしている。ガキっぽいが、ハンバーグやシチューも好きである。要するに、それらの具材の中には、野菜が入っているに違いないと、期待してのことである。

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2016/06/11

点々は 宇宙を攪拌しないのです

 我々は攪拌された宇宙に散在する点々なのかもしれない。
 星の一つ一つが、誰彼の心の投影なのかもしれない。

 道端の石ころや空き缶にしても、誰かの眼差しに晒される。

 梅雨の束の間の日の光にジリジリと焼かれて、
             つい、本音を洩らしそうになる。

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2016/06/10

『日影丈吉 幻影の城館』と昭和前半の世相

 自宅では、D・P・シュレーバー 著の『シュレーバー回想録』 (尾川/金関訳 中公クラシックス)を読んでいる。

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← 日影丈吉 著『日影丈吉 幻影の城館』(河出文庫)

 最初に平凡社から単行本で出た際に、刺激的な内容だと感じ、即座に買って読んだもの。

 その本は引っ越しのドサクサに手放してしまったのだが、このたび、復刊となったので、今、読み返しつつある。
 ただ、あまりに重い内容の本なので、息が詰まってくる。自分が正常だということを証明するなんて不可能だろうし、といっても、自分の乏しい知性や常識で何事も判断するしかないとしたら、一体、出口は何処にあるのかという気になってしまう。

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2016/06/09

岩峅寺と磐座信仰?

 雄山神社は、「霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった」(「雄山神社 - Wikipedia」より)。

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→ 雄山神社 峰本社 神殿・鳥居 遠景 (画像は、「雄山神社 - Wikipedia」より)。

「峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、前立社壇(まえだてしゃだん)の三社をもって雄山神社と」し、「所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から岩峅寺(いわくらじ)にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である」。

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2016/06/08

好奇心で中野 明 著『裸はいつから恥ずかしくなったか』を読む

 ひたすら好奇心と、多少の(?)スケベ心で買い求め、読んでしまった本。
 昨日は仕事がやたらと暇だったもので、残り160頁ほどを一気に……じゃなく、ダラダラ読んで行っても、余裕で読み終えてしまった。悲しい現実……。

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← 中野 明 著『裸はいつから恥ずかしくなったか ─「裸体」の日本近代史』 (ちくま文庫) 「幕末、訪日した外国人は混浴の公衆浴場に驚いた。日本人が裸に対して羞恥心や性的関心を持ったのはいつ頃なのか。「裸体」で読み解く日本近代史」とか。

  江戸時代に関連する本を読むと、そういった話(や絵)は折々出てくるので、気になってならないでいた。
 さすが、世の中は広いもので、小生のようなスケベ心に……じゃなく、関心に見事に応えてくれる書き手(調べる人)がいるものである。

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2016/06/06

本はまとめ買いじゃなく

 最近は、本をまとめ買いすることが多い。忙しいこともあるが、近所に(小さくてもいいのに)書店がないことが理由。

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→ 過日、仕事でだが、世界遺産に登録されている、菅沼や相倉合掌造り集落などへ行ってきた。本画像は、「菅沼合掌造り集落」。相倉のほうへは、何度か訪問しているが、菅沼のほうは、通り過ぎるばかりで、ちょっとでも集落を眺められたのは、初めてである。

 仕事が終わるのが、丑三つ時なので、仕事帰りに書店へ、という楽しみもない。
 やはり、本を一冊、じっくりゆっくり読んで楽しんだら、また次の出会いを楽しみに書店へ、というのが嬉しいのだが、そういう時代ではないし、町の商店街の寂れようを見ても、今どきそんな夢、見るなよ、だろう……か。

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2016/06/04

麦わら帽子の少女

 ひび割れたガラス窓越しにあの人は見つめていた。
 それとも、今にも砕け散りそうなガラス窓に歪んだ自らの顔を映しているのだろうか。

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 窓の外は、鏡面のように静かな湖が見えるはずだけど、あの人の虚ろな瞳には何も見えはしないのかもしれない。

 窓の亀裂は、まるで水中花を思わせる。
 凍て付いた湖の底に眠る、忘れ去られた悲しみ。
 凍り付いた情念。生き血を抜かれた花は、ただ瑪瑙のように輝いている。

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2016/06/03

蜜を吸うように本を読む ? !

 自宅では、ピーター・ウォード/ジョゼフ・カーシュヴィンク 著『生物はなぜ誕生したのか 生命の起源と進化の最新科学』(梶山 あゆみ 訳 河出書房新社)を読んでいるのだが、本書・代々木忠著の『つながる セックスが愛に変わるために』は、その合間に気分転換にと手を出してしまった本。

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→ 果樹(キュウイかな)が元気だと虫も精力的に蜜を吸う。我が家の畑にて。

 が、やはり内容が内容だけに、ついつい気分転換のはずが、ホントに転換してしまって、とうとう仕事の場にも持ち出し、暇の徒然に読み浸り、一気に読了させてしまった。

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2016/06/01

野菜嫌いの野菜作り

 小生、根っからの野菜嫌いである。
 いつから嫌いだったのか、覚えていないが、物心付いたころには、牢固たる野菜嫌いに。
 我が家は実は、農家だった。
 田圃もあれば、畑もあった。あった……。
 そう、過去形である。今でも、畑は残っているが、正確に計測したことはないが、9メートル四方かどうか。
 田圃は、明治以来の農家なので、それこそ、昔は何反もあったが、十年程前までに全て放棄した。
 地元の各地に、あそこも、ああ、ここも我が家の田圃だったという場所がある。今では住宅地や道路に変わり果てているが。
 そんなことは、もはやそこに住む誰だろうと、知る由もない。

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