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2016/05/21

ウルフ曰く「リアリティ」とは一つのもの

 今日、我が家に太陽光パネルを設置しませんかという営業の人が(その前に、売り込みの電話があって、つい断れずに営業の人が来ることに)。

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→ 一昨日、裏の畑に植えたトウモロコシとスイカの苗畑に、柵と網を設置した。奥はスイカで、思いっきり育つ蔓を網の中に封じ込めるため。トウモロコシは、育った身を鳥などに食われないための防御。

 築60年以上の我が家にそんなのを載せたら、家が潰れちゃうのでは? と聞くと、建て方ががっちりしているから大丈夫ですよ、平屋のようですけど、二階があってもおかしくない建て方、柱もきっと立派でしょうし、と。
 2年前、他の業者が来て、同じ質問をしたら、地震に弱そうで載せるのは躊躇われると言われたっけ。その頃は、売電の単価も高かったし。
 どっちの指摘を信じるべき?

 ところで、今日、久しぶりに入浴した(シャワーは毎日浴びている)。
 入浴したとき、急に熱が出、さらに吐き気さえしたことがあったのだ。
 それ以来、入浴が怖くなったのだ。
 さすがに垢が溜まっているようで、今日は思い切って浴槽に首まで浸かってみた。こうしてブログを書いていることから分かるように、今のところ、無事である。
 次回は、一か月後に入浴する……かも!

 自宅では、ヴァージニア・ウルフ著の『ある作家の日記』を読んでいる。じっくりと作家の日常に密かに寄り添うように、覗き見るように。

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← ヴァージニア・ウルフ著『ある作家の日記 【新装版】』(神谷美恵子 みすず書房) 

 出版社の情報によると、「いま読んでいる本、創作過程の実際、本の評判や売上げ、エリオットやフォースターとの交友など、1918年36歳の年から1941年自殺する直前までの日記。死後、夫レナードによって文学活動を中心に編纂された本巻は、創造の苦しみと楽しみを生き生きと伝える」とか。
「1915年、最初の長篇小説『船出』を出版し、ついで『夜と昼』『ジェイコブの部屋』を発表する。さらに、彼女の小説世界を十全に開花させた傑作『ダロウェイ夫人』『燈台へ』『波』が生れる。ここで彼女は、プルースト、ジョイスらによって示された「意識の流れ」を、独自の立場から追求している」という。

 本日記で作家の生々しい呟きや嘆き、感激、述懐などをじっくり読める。実作者ならではの苦悩。これほどの才能の持ち主なのに、あるいは才能あふれるからこそ、なのか。
 売れる、売れそうな本は、書くことをよしとしない彼女なのである。

 さて、本書は十年ほど前、図書館から借りだして読んだことがある(旧版)。その頃はまだ、創作熱が冷めていなかったころで、作家ならではの苦悩を興味津々で読んだものだった。
 あれから十年。ふとしたことで本書を目にし、再読したくなったのである。
 どうやら昨年、新装版が出たようで、それで広告などが目に入ったのだろう。

 さて、創作する意味や目的は何だろうか。
 現実に生きている、それだけでも、しんどいことなのに、その上、創作の上で物語を綴るのは、あるいはそういった欲求が高まり、冷めやらないのは何故なのだろう。
 とどまるところ、リアリディの問題だと思う。生きることの不可思議。センス・オブ・ワンダーの感覚。
 それは哲学にも通じるものがある。つい先日読んだ数学者の本でも、数学の神秘、数学の世界が存在することの不可思議を情熱をもって語っておられた

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← エドワード・フレンケル著『数学の大統一に挑む』(青木 薫訳 文藝春秋) 書店で題名を見た時、宇宙論(素粒子論)ならともかく、数学でまさかと思ったが、「ラングランズ・プログラム」で、数論、幾何学、解析学など、ほとんど独自に発達し細分化したそれぞれの分野の底に、それらを繋ぐ、普遍的な構造がある、という洞察があるようだ。これは物理学とも無縁ではないし、むしろ超ひも理論とも絡み合っている。なんてことは別にして、若き数学者のまさに彼ならではの情熱に満ちたドラマを体験する楽しみこそが本書の魅力だ。数学の神秘を自分のような数式音痴の小生にも感じさせてくれる。

 しかしながら、ではリアルな感覚とは何かというと、一言でいうのはなかなか難しい。
 そんな中、本書を読んでいて、これだ、というくだりに遭遇した。
 解釈やなんかは不要だ。その一文をじっくり味わいたい。

 なので、当該箇所を転記しておく:

(友人らとの親しみの感じられる会話のあと…容易に想像がつくように、ウルフには滅多にこんな機会はないが)友人たちの何人かが何か親しみぶかい、感動させるような真情をあらわしているのに私は気が付いたように思う。そして親しくしていることのよろこびを。まるで陽が沈んで行くかのように。太陽がちょうど沈んで行くとき私の肉体的状態も今や冷たくなって行き――でもこれはただ始まりにすぎないのだ。やがてひとは月のように冷たく銀色になるのだ。今年はとても活気のある夏だった。人びととともに生活しすぎた夏、とほとんど言えそうだ。私はよくここで一つの聖処(サンクチュアリ)か尼僧院に入ったものだ。宗教的な隠遁をしたものだ。一度は非常な苦悶を経験したし、いつでもいくらかの恐ろしさがあった。それほどひとは孤独を、器の底まで見てしまうことを恐れるものだ。いくつかの八月には、そういう経験の一つをここでしたものだ。そしてそういうとき私が「現実(リアリティ)」とよんでいるものの意識にまで到達したものだ。それは私の前に見える或るもの。何か抽象的なもの。しかし丘や空にあるもの。それとくらべれば何一つ重要なものはない。そのものの中で私はやすらい、存在しつづけるだろう。リアリティと私はそれをよぶ。そして時どき、これこそ私にとって最も必要なものだ、と考える。私が求めているものだ、と。でもだれにわかろうか――ひとたびペンをとって書くとどういうことになるのか。「リアリティ」とは一つのものなのに、<書いているときは>それをあのものとかのものとかにしてしまわないのはなんとむずかしいことか。でももしかするとこれが私の才能なのかも知れない。これが私を他の人たちと区別するものかも知れない。このようなものについて、こんなにも鋭い感覚を持つということは稀なことかも知れないと思う――でも、またくりかえすが、だれにわかろうか。私はこれをも表現できたらと願うのだが。 (p.187-8)

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