4月1日 影の女
ひょんなことから、横溝 正史に「扉の影の女」 と題する小説があることを知った。
→ 29日に開花宣言した……と思ったら、31日には満開に。今年はなんて気の早い桜なんだろう! でも、散り急がないでね!
小生は未読である。傑作という評判も仄聞しないが、題名が気になる。
「扉の影の女」とは、どういうことなのか。
一般的に、「影」の意味するのは、「光が物体に遮られて、光源と反対側に現れる暗い部分」であり、「陰」は、「物に遮られ、日光や風雨が当たらないところのこと」だという(「違いがわかる事典」など参照)。
また、「光との関係で考えた場合は、光が遮られることで現れるのが「影」、見えなくなったところが「陰」となる」わけである。
← 横溝 正史著「扉の影の女」 (角川文庫)
とすると、扉の影の女というと、意味するところは、まさに陽光か部屋の灯あるいは街灯なのか分からないが、その作り出す影の中に女が佇んでいる、潜んでいる、こちらを窺っている、ということになる。
一方、仮に扉の陰の女とすると、その言葉の織り成す光景は、まさに扉という物体の裏などに女が隠れている、あるいは見たくてもこちらからは見えないということになるのだろう。
横溝正史というと、小生が若いころ、金田一耕助モノが盛んに映画化され、映画も楽しんだし、小説も結構、詠んだが、本作のほうは読んでいないので、物語の何を象徴したり、テーマを示唆したりしているのか、ここでは探りようがない。
サスペンスということでなく、男に…自分に影の女が、あるいは陰の女がいたらどうだろう。
影(陰)の女というと、(心理的にも)女の物影に怯えているということか、物陰に隠れている女の脅威を具体的に感じているかのどちらか…。
→ 画像は、「違いがわかる事典」より。
むろん、4月1日は別として、それ以外の日には、小生の現実にはないことなので、探求する意味は何もない。……のだが、あっさり現実にはないとするってのも、味気なさすぎる。
せめて、想像の中で影の、それとも陰の女を織り成して、心の、あるいは肉体の空白を埋めておくことにする。
関連拙稿:
「今日はエイプリル・フールです!」(2009/04/02)
「壺中山紫庵 万愚節(ばんぐせつ) 」(2005/04/01)
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