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2016/04/20

ジョイスにポール・W・ルイスにジュネに

 日曜日は、富山でも強風が吹き荒れた。被災地では、想像を超えて大変だったろうと察せられる。
 我が家は、庭を中心に風の爪痕がまざまざと。

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 目立ったのは、手作りしたパイプ車庫の屋根が破れたこと。ビニールのカバーなので、当日、仕事で不在だったのだが、カバーが飛ばされているのでは、あるいは、パイプ車庫自体が倒壊しているのではと気が気ではなかった。 
 幸いと言うべきか、ビニールのカバーが破れただけに終わった。カバーは買い替えるしか手立てがなく、応急処置として、カバーを手で整え、壊れたリール式のビニールホースのホースを切り取って、パイプ倉庫の上に渡して少しでも風に耐えられるように補強するなど。

 風が吹き荒れると、いつものことだが、庭の樹木の葉っぱが吹き千切られ、庭中のあちこちに吹き溜まり、さらには、溝(どぶ、と呼ぶべきか、用水路と呼ぶべきか)に葉っぱや枝、更には何処からともなく吹き込んできたゴミが溜まっている。

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 むろん、バケツやら刈り込んで堆積しておいた枝葉類も散在。
 昨日は、それらの片づけやら溝浚いやらで過ごす羽目に。

 それでも、読書だけは欠かすまいと、ジョイス 著の『ダブリンの市民』を読了させ、読み止しになっていた、ジュネの『泥棒日記』の続きに着手。
『ダブリンの市民』は、それこそ数十年前に読んだことがあるのだが、すっかり内容は忘れている。
 ジョイスというと、『フィネガンズウエイク』を柳瀬訳で一度、『若き芸術家の肖像』は三回ほど、読んだだけ。『ユリシーズ』は、全く手つかずのまま。今月初め、とうとう四巻本を入手したので、プルーストの『失われた時を求めて』の合間に読んでいくつもりでいる。

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 さて、読了した『ダブリンの市民』は、何とも言い難い味わいだった。暗く鬱屈したダブリンの市民たちの、暗鬱な生活が描かれ、読む自分の気分までが暗くなる。
 特に、女性の立場が誰かの言葉ではないが、出口なしで、息苦しいほどである。
 車中では、ウルフの『自分だけの部屋』を読んでいるのだが、こちらも、時代の世相を映し出していて、女性の置かれた厳しい状況をこれでもかと感じさせる。
 こうした状況というのは、絵画作品やまして音楽作品を鑑賞していても、なかなか窺えない世界なのではないか。小説だからこそ、描けた世界なのだろうと思う。

Dubliners

← ジョイス (著)『ダブリンの市民』 (結城 英雄 (翻訳)  岩波文庫)

 と言いつつ、今はジャン・ジュネの『泥棒日記』に取り掛かっている。
 性的にも、経歴の上でも過去のある人間には、選択の余地の乏しい中で、敢えて負の世界の美、ベクトルが通常の世間を生きる人間とはは逆向きを指す<犯罪者たち>の、それでいて豊穣なる世界を描いて、秀逸なのである。
 人間の世界のなんと奥深いことよ!

[ 末尾に掲げた本の表紙画像以外は、いずれも、オーストラリアの画家ポール・W・ルイス(Paul W Ruiz)の作品。今日、フォローしている、某ツイッターでその存在を知った。何と力強い筆致であることか。それにしても、なぜ、どの絵も描かれる人物の目は閉じられているのか。 (画像は、「artodyssey Paul W. Ruiz」より) (「Paul W Ruiz あったかギャラリー|Attaka Gallery」など参照)]

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