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2016/03/18

春は憂鬱

 もう、春の足音が、そこまでやってきているのが分かる。

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→ 黄水仙が開花。春だねー!

 今年は、1月の上旬には梅の開花が見られた。先日はウグイスの初鳴きが聞かれ たとか。花粉もうんざりするほど、飛散し始めている。時折、コンクリートジャン グルの端っこから、土の匂いだろうか、何処か懐かしい、心を落ち着ける匂いが漂 い始めてもいる。 
 その匂いの中には雑草なのか、それとも名のある草なのか、それとも草ではなく 木々の葉っぱからなのか分からないが、ムンとするような、植物特有の匂いも混じ っている。

 けれど、もしかしたら、芳しく嗅いでいる中には、何処かの団地のベランダに干 された布団や洗濯物から漂い出す、生活臭だって仲間入りしているのかもしれない。
 そう、日光を浴びてダニや何かが乾燥して悲鳴を上げているのに違いないのだ。 ダニどもの体から蒸発した命の気が、当てどなく彷徨っても、いる。

 啓蟄という言葉がある。冬ごもりしていた虫たちが穴蔵から這い出る季節。
 無数の虫たちが、息を吹き返している。

 きっと体の中の虫だって。疼くような命の叫び、それとも悲鳴、あるいは命の賛 歌。
 冬だからということで、篭りっきりでいても、それはそれでよかったものたちも、 多くの連中が表を闊歩する姿に影響されないわけにはいかない。胸騒ぎだってする。 今年こそ、自分だって、表通りを堂々と歩けるに違いない。きっと、そうに違いな い…。

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← 馬酔木かしら。今年も鈴蘭のような小花がいっぱい。

 が、体には虫が這い回り、そいつらは勝手のし放題だけれど、その虫どもを抱え る本体は、ままならないままなのだ。冬が去り春が来たなら、なんていう夢物語は、 やっぱり夢の中の苦い皮肉でしかなかったと、痛切に感じられる季節でもあるのだ。
 あれっ、でも、あそこの家に住む誰かさんって、体が調子悪いわけじゃなかった よね?
 確かにそうだ。丸っきりの健康体かどうかは分からないけど、でも、出歩くこと に支障はないはずだ。
 なのに、何故、あの人は、憂鬱な顔をしてるんだろう。塞ぎこんだ表情は、冬の 日々より暗いじゃないか。
 そうなんだ。俺だけが知っているわけじゃないけど、あの人は、心の奥底深くに 塞ぎの虫を飼っているんだ。好きで飼っているわけじゃ、勿論、ない。

 あの日から、そうなのさ。
 何があったのかって。そんな野暮は言いっこなしさ。
 誰もが表に目をやる季節、あの人は、尚更、胸の中を覗き込む。まるで何処かを 目指して、きっと明るいだろう出口を目指して歩く皆とは、逆を行くようだ。背を 向けているようにさえ、見える。
 でも、そんなことは、この際、どうでもいいじゃない。みんな、明るさと楽しさ とに踊っているんだ。なんで、わざわざ、そんな陰気な奴に付き合う必要があろう か、そうだろう?

 心を固く閉ざす殻は、春の訪れでさえも、和らげることはできない。
 心の塞ぎは、むしろ、頑なになる。それが人間って奴の悲しいところだ。
 心がいびつに捻じ曲がっている。まるで岩塊に押しひしゃげられた雑草だ。緑色 の透明な液体が、流れ出している。もしかした、春の息吹の中の、何処か鬱屈した 気配というのは、このせいだったのだろうか。
 思いっきり背伸びする。背伸びしてみたいと思う。

 ところが、心が邪魔をする。心が膠みたいに体に粘りついて、伸びようとすれば するほど、逆方向に引っ張られてしまう。
 それとも、体が心を邪魔しているのだろうか。心が何物にも妨げられることなし に、太陽に向かって伸ばすその手を、故障を抱えた体が押し留めているのだろうか。
 心と体が分けられるはずもないのに、互いに相手のせいにしている。

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→ 名称……忘れた!

 春の目覚め。春の予感。春の足音。春の祭り。葉裏を伝う露の雫を透かして見え る命の息吹。体が疼く。恋の予感を叫んでいる。予感というより、むしろ、渇望し ている。
 心が、体が、飢えているんだ。
 心と体の全てが、己に絡む命の重さを欲している。全てを忘れて、命の体の全体 を確かめようと望んでいる。橙色の焔の中で、肉となった心が吼えている。心とな った肉が喚いている。心というエネルギーの塊こそが、肉であり、肉の情熱の発散 こそが、心なのだ。

 心とは伸び広がった肉体なのだ。肉体とは、心の塊そのものなのだ。  ああ、だとしたら、歪な心を持つ、あの人は、心を解き放つことも出来ないまま に朽ち果てるしかないのだろうか。
 捩れた体を持つ、あの人は、体を深い闇の底で腐らせていくしかないのだろうか。  きっと、それが、本当のことなのだ。

 心と体が別だなんて、嘘っぱちなのだ。
 命は、この世の至るところでその発露を求めている。岩の下で圧迫されていたっ て、岩を噛み砕いてでも、日の下に出ようとする。ちょうど、そのように、重い布 団に呻吟するあの人は、窓の外の色付いた葉っぱを恋しているに違いない。他に道 はない。たとえ、日に向かって手を差し伸べることが、刃の林立する地獄に素の腕 を差し出すことに他ならないとしても、でも、他に道はないのだ。

 命を削ってでも、幾重にも折り畳まれてしまって、もう、原形など留めていない 心の根を伸ばそうとする。心の枝を張ろうとする。心の葉っぱを日に晒す。

 岩の中に亀裂を生み、体を削りつつ、上へ上へと伸びようとする。腕の表皮が剥 がれ落ちていく。そんなことなど、構ってはおれないのだ。きっと、剥がれた肉片 だって、命の塊には違いないのだし。岩に垂れ、染み付いた血の雫だって、命の流 れの果ての姿には違いないのだ。

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← 三重かなめかな。数年でスクスクと育ってくれた。格好のグリーンカーテンに。

 心は、あらゆる方便を選ぶ。見かけがどうだろうと、構うことなどない。顔を歪 めてでも、日の光を浴びたいのだ。世間という岩塊を炸裂させてでも、命の交合を 夢みるのだ。

 叡智。それは、きっと、懸命に生きるということ、ただ、それだけを意味してい るのに違いない。今、あなたが疼いていれば、それこそが叡智の輝きを生きている 証拠となるのだ。

(拙稿「叡智 それとも 命の疼き」(02/03/04) より改題)

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