マルカム・ラウリー著『火山の下』を読んだ
やはり、奥歯にものが挟まったような言いようである。
作者のマルカム・ラウリーは、「アルコール中毒のもたらした事故で死んだ作家」で、小説の登場人物(主要な語り手、主人公)も、アル中でやはり最後は酒に溺れて分けもわからないうちに死んでしまう、まさに破滅型の人物。
出版社の説明によると、「ポポカテペトルとイスタクシワトル。二つの火山を臨むメキシコ、クワウナワクの町で、元英国領事ジェフリー・ファーミンは、最愛の妻イヴォンヌに捨てられ、酒浸りの日々を送っている。一九三八年十一月の「死者の日」の朝、イヴォンヌが突然彼のもとに舞い戻ってくる。ぎこちなく再会した二人は、領事の腹違いの弟ヒューを伴って闘牛見物に出かけることに。しかし領事は心の底で妻を許すことができず、ますます酒に溺れていき、ドン・キホーテさながらに、破滅へと向かって衝動的に突き進んでいく。ガルシア=マルケス、大江健三郎ら世界の作家たちが愛読する二十世紀文学の傑作、待望の新訳」とある。
以前は、「活火山の下で」といった題名で読まれていた。
小生は、本書を書店の棚で見出したのだが、ミーハーの小生、全く未知の本書を手に、買うかどうか迷った挙句、「ガルシア=マルケス、大江健三郎ら世界の作家たちが愛読」という殺し文句に背中を押されたのである。
特にガルシア=マルケスが愛読というのでは、マルケスファンの小生、読まないわけにいかない。
「大江健三郎 作家自身を語る」の中の「女性が主役となった八〇年代」なる項で、大江健三郎は、「「雨の木(レイン・ツリー)」連作ではそうでした。そのうち、自分がいままで書かなかった性格の人物を書いていることに気がついたんです。ヴァルネラブルというか、傷つきやすいタイプの、破滅していく男、高安カッチャンが中心にいるんですが、その男性を励ます、そしてその男性の犠牲になりさえする女性を併せて書くことになった。そのような女性像がやはり自然に現われたように思います」として、以下のように語っている:
直接のきっかけとして、そのころイギリスの作家マルカム・ラウリーを読んでいたこともあります。かれはその当時四十五歳だった私に近い年齢の時、アルコール中毒のもたらした事故で死んだ作家でした。日本でも訳されている小説として『活火山の下で(アンダー・ザ・ヴォルケイノ)』という長篇がありましたが、この作品でかれは、深く傷ついているインテリの男、メキシコにいる外交官と、その恋人で、自分の愛する男が傷つきやすい人間であるために、やはり傷つかざるをえない女性を書く。男性はそれこそ野犬が撲り殺されるように滅び、女性は悲嘆のうちに沈んでいくという小説でした。
この後には、「自分自身アルコール依存症じゃないかと感じていたこともあり、感情的にも私はラウリーがとても好きになった。とくに人間としての存在の根本に深い悲しみをもって生きるということ、ラウリーの英語でいえばgriefという感情の重さを手渡された」と続く。
さてでは、肝心のガルシア=マルケスはマルカム・ラウリーの『火山の下』をどのように愛読したかを証左する文章にはネットでは出会えなかった。
わずかに、「『十二の遍歴の奇譚集』にこめられた三つのオマージュ ―― ガルシア=マルケスと映画・政治・詩作―― 渡辺 暁」の中に以下の文章を見出したのみである:
この短編の興味深い点は、彼が好んだ(と思われる)様々な有名な文学作品を連想させる表現が、様々な場所で散見されることである。まず、題名ともなっている主人公の名前、マリーア・ドゥス・プラゼーリスにしても、マリアは聖母マリアあるいはマグダラのマリアであると同時に、マルカム・ラウリーの『火山の下』最終章に出てくる娼婦の名前であり、ポルトガル語のプラゼーリスは英語で言うpleasureであり、『ファニー・ヒル』という名でも知られるMemory of a Woman of Pleasureを意識していると見ることができる。『火山の下』はガルシア=マルケスが「最も多く読み返した小説」と語る作品(Binns 1984: 8)であり、後者は娼婦を主人公とした小説として最も有名なものの一つである。
読後感が悪いのは、自分が酒を飲まない人間で、恐らくはアル中人間の気持ちが分からないから、そんな破滅型人間を前にしたら、さっさと遠ざかっていく、気の小さな小市民だからなのだろう。
今、引退した某有名野球選手の薬物依存のことが話題になっているが、アルコールにしろ煙草にしろ薬物にしろ、賭博癖にしろ、肉欲癖にしろ、一旦、精神的肉体的に依存したなら、抜け出すことは至難なのだろうとはわかる。
小生は、小説家や凡そ芸術家なら、想像力の中でとことんアル中に、殺人者に、薬物中毒者になり切ってみせろと言いたい。自分で体験して、それを小説に生かすというと、聞こえはいいが、ドキュメントを書くならともかく、想像力でまっとうな人間どもを圧倒するのが芸術家の使命と思うのは、これはあまりにまともすぎてつまらない発想なのだろう。
とにかく、最後の最後まで辟易してしまって、反吐の出るような小説だったが(ある程度の悲恋物語性はあるが)、でも、印象に強く残る小説だったのは間違いなさそうである。
← 海部陽介著『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋)
さて、今日からは、気分一新で、海部陽介著の『日本人はどこから来たのか?』を読み始める。
この手の本は大好き。日本人の由来についての最新の描像を知りたい。日本はいい意味で吹き溜まりの国。来たから南から東からやってきて、混在して日本の人々の原型が作られたのだろう。日本は今も、他民族(複数の由来)の国らしいと、遺伝子が物語っている。
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