森田真生著『数学する身体』から岡潔著『春宵十話』へ
森田真生著の『数学する身体』(新潮社)を読んでいたら、懐かしい名前が出てきた。
← 森田真生/著『数学する身体』(新潮社) 「森田真生公式ウェブサイト - Choreograph Life -」
岡潔である。高名な数学者だった。小生は、高校生の頃、この単行本で読んだ。もう、40年以上も昔のこと。社会人になってからも、再読した。彼の本(エッセイ)は、今も人気があり、読み継がれていることを知り、なんとなく誇らしく感じた。
岡潔については、拙稿「春宵花影・春宵十話」(2005/04/02)をなしたことがある。
日本の数学者の本を読むのは、滅多にないが、昨年一冊、新年早々この一冊に手を出すってのは、やはり、未だに自分の中に数学への憧憬の念があるからだろう。
森田真生氏は、上掲書の中で、数学の問題を解く際の、しびれるような感覚を語っておられる。
同氏は小生とは比べ物にならない次元での脳みそが沸騰するような興奮だったのだろう。
何を隠そう、小生もはるかに低次元でのことだが、中学の頃に数学……というより、算数と言うべきだろう……の問題、特に幾何学の問題を解く際の、まさにしびれるような感覚を懐かしく思い出されるのである。
← 岡 潔 著『春宵十話』(毎日新聞社) 小生は、高校生の頃、この単行本で読んだ。まだ、高校二年の途中まではいつか数学者になるという夢がかすかに残っていた…。
小生は、拙稿「春宵花影あれこれ」(04/04/13)の中で(拙稿「春宵花影・春宵十話」(2005/04/02)に所収)、岡潔の『春宵十話』に絡んで、以下のように書いている:
小生は、数学者を一番、尊敬している。別段、意味はない。小生が一番、苦手だが(苦手なものは、無数にある)一番、憧れる学問なのだ。その楽問に携わっているということで、羨ましいと思う以上に、とにかく無条件に尊敬しているのである。
その数学者の書く随筆というのは、やたらと面白い。その中の筆頭が、岡潔なのであり、彼の著『春宵十話』なのである(松岡氏の表現を借りれば、凡兆、去来、芭蕉らの俳句の連句を例にとって示されている「岡潔は“情緒の数学”とでもいうものを自在に語ってみせたのだった」というくだりなど、是非、玩味してほしいものだ)。
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