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2016/01/24

ル・クレジオ『物質的恍惚』の周辺

 何十年ぶりにル・クレジオ著の『物質的恍惚』 (豊崎 光一 訳 岩波文庫) を 読んだ。
 読んだという表現がふさわしいのか、やや疑問。

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← 吹雪く外。撮影するのに、窓を開ける勇気がなくて、茶の間から窓外を撮った。

 詩文の世界を味わったというのも、ちょっと違う。クレジオが異世界に刺激を求めたように、小生も目くるめくクレジオワールドに遊んだ……弄ばれた……というべきか。
 初めて読んだ四十数年前、この世界に圧倒された。その前に、この「物質的恍惚」という題名にやられた。
 分かっちゃいないし、理解など今に至るも遠く及ばないのだが、それでも、勝手にイメージを膨らませた…いやもうなすすべもなく勝手に膨らんでいったのである。
 そのような兆候の見られる文は、ネットの世界に参入してからも、幾度となく綴ってきた。その一部を示してみる:

 

 そう、バシュラールは、詩的空間を単なる言葉の上の蜃気楼とは思っていない。机や椅子や家や木々や石や焔と同じく、極めて人間的な想像空間に現出した物質の一つの様相なのである。
 言葉は単に言葉に終わるものではないのだ。人間にとって言葉はナイフが心臓を抉りえるように、心を抉りえる可能性に満ちた手段であり、まさに武器であり、こころの現実に実際に存在する物質なのである。
 しかし、その物質は、手に触れないで遠くから見守る限りはそこに厳然としてある。にもかかわらず言葉で、その浮遊する時空間から抽出しようとすると、本来持っている命も形さえも崩れ去り失われてしまう。
 …… ……
 何とか顔に、魂の上に圧し掛かる岩を跳ね除けようとする試みのエネルギーが物質的想像力と小生は勝手に思っている。魂は心有るものには、間違いなく現実にあるものと映る。木や石や机のように、人間にとって魂は、心は現実にある。物質(と称されるもの)以上に切なく、しみじみと(目にはさやかに見えねども)そこに厳然としてあるものなのだ。
 そうした時空間は、ひたすらに心を密やかにひめやかに息を潜めて見つめないと見えないし、まして実現するのは難しい。バシュラールも強調しているように、いわゆる科学的方法では、いかにしても見出せないし検証も不可能な世界でもあるのだ。
  (拙稿「バシュラール…物質的想像力の魔」より)

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→ 午後になって、外を除いたら、雪が小康状態。今の内だと、せっかちな小生は室内着のままで、雪搔き。降ってはいないけど、寒風が吹き荒び、息する喉が痛い。掻く雪が風に舞う。喉が痛くなったり、汗が滲んだりしないうちに、目途をつけようと懸命にスコップで除雪。どうやらそれなりに片付いたかなと思って、玄関から撮影しようとしたら、レンズの中に異物の動き。おお、猫だ。小生が必死に作った道を、おお、できたか、では吾輩が歩き初めだとばかりに、堂々悠々と歩き去っていく。くそ! お前も手伝え!

 

 月の光が、胸の奥底をも照らし出す。体一杯に光のシャワーを浴びる。青く透明な光の洪水が地上世界を満たす。決して溺れることはない。光は溢れ返ることなどないのだ、瞳の奥の湖以外では。月の光は、世界の万物の姿形を露わにしたなら、あとは深く静かに時が流れるだけである。光と時との不思議な饗宴。
 こんな時、物質的恍惚という言葉を思い出す。この世にあるのは、物質だけであり、そしてそれだけで十分過ぎるほど、豊かなのだという感覚。この世に人がいる。動物もいる。植物も、人間の目には見えない微生物も。その全てが生まれ育ち戦い繁茂し形を変えていく。地上世界には生命が溢れている。それこそ溢れかえっているのだ。
 …… ……
 自分が消え去った後には、きっと自分などには想像も付かない豊かな世界が生まれるのだろう。いや、もしかしたら既にこの世界があるということそのことの中に可能性の限りが胚胎している、ただ、自分の想像力では追いつけないだけのことなのだ。
 そんな瞬間、虚構でもいいから世界の可能性のほんの一端でもいいから我が手で実現させてみたいと思ってしまう。虚構とは物質的恍惚世界に至る一つの道なのだろうと感じるから。音のない音楽、色のない絵画、紙面のない詩文、肉体のないダンス、形のない彫刻、酒のない酒宴、ドラッグに依らない夢、その全てが虚構の世界では可能のはずなのだ。
    (拙稿「真冬の月と物質的恍惚と」より)

関連拙稿の一部:
バタイユ著『宗教の理論』」(2005/12/10)
バシュラール…物質的想像力の魔」(2006/06/07


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