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2016/01/20

溶けると分かっていても雪搔きする!

 昨日未明からの雪は、夜までほぼ終日、降り続いた。ただ、午後から降雪の勢いは弱まり、積雪量も20センチを超える程度。まあ、富山としては大した量ではない。

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← 昨日の雪。夜中になって、庭先をせっせと雪搔き。なのに、翌日の今日は昼間は雨。雪が少しずつ溶けていく。せっせと雪搔きしたのにー。でも、人の出入りがあるので、朝方までには除雪する必要があるんだよね。

 そうはいっても、我が家には庭があり、しかも、入り口から玄関まで細長い。真夜中になって除雪するかどうか、迷っていたが、やはり、未明に来るだろう新聞配達の人のためにも、人が歩ける程度の細道は作っておかないと。
 で、昨日、せっせと読んでいたウラジーミル・ナボコフ 著の『賜物』(沼野 充義 訳 河出書房新社)を中断し、合羽やら鍔の広い帽子(実は麦わら帽子)、そして喉を守るためのマスクなどで装備して、いざ雪搔きへ。

 細い道だけを作るつもりだったが、やはり、作業を始めるとムキになってしまう。
 庭の入り口前の道路には消雪装置があって、道路はほぼ雪がなくなっている。それが、我が家の庭へ一歩、足を踏み入れると、そこは雪国なのである!
 使い古されたスコップで、街灯の灯も弱弱しい、夜半過ぎの庭で一人、せっせと雪搔き。

 せいぜい一時間あまり作業しただけなのだが、久しぶりの肉体作業で、へとへとになった。幸い、汗は掻かなかったので、体が冷えることもなかった。マスクで喉や気管支を痛めることもなかった。過去の苦い失敗からの教訓が生きたと言えるかも。
 
 翌朝は、雪が降っていない。気温もやや高めで、積もった雪も多少は溶けてくれる。
 ただ、今年はさぼっていた、庭への消雪装置を今日になって設置した。
 今年は、奇策に出た。
 風呂場の洗い場の給湯器の蛇口に幅の広い、15メートルもの長さのホースをつなぎ、洗面所から庭へ。
 ホットなお湯を庭に流そうという魂胆である。家の中に延々とホースが敷設されている。人が見たら何やってんだか、だろうが、幸い、お客さんの来ない家なので、どんな奇妙な光景も誰も咎めない。

 昨年までは、玄関先の蛇口から、水道水を消雪ホースに流していたが、冷水なので、雪がほとんど溶けてくれない。道路の消雪装置が有効なのは、地下水を放水しているので、水道水よりずっと温かいのだ。
 そこで、ボイラーで温めた温水を家の中に這わせたホースを伝って庭先まで流し、消雪ホースにつなぎ、温水(その頃には温水は冷たくなっているだろうけど)を放水しようとしたのだ。
 作戦の有効性はともかく、苦労したのは、洗面所の蛇口にホースを繋ぐ、その接続部分。買ってきた幅広のホースは、蛇口にぴったりなのだが、温水を流しているうちに、ホースが膨張し、やがてあっさりホースが外れてしまう。
 どうやってホースを固定すればいいのだろう。金具が必要なのか。

 さて、上記したように、ウラジーミル・ナボコフ 著の『賜物』を昨日から読み続けている。読み始めたのは、今月の十日頃だった。今日の夕方近くになって読了。
 本書については、某サイトで、以下のように呟いた:

「ロリータ」のナボコフがいかにすごい作家なのか、本書で改めて思い知らされた。詩人としても言葉へのこだわりの並外れていることを確かめられた。世界を重層的に掴むのは、あるいは表現できるのは言葉を使った芸術表現しかない。なぜなら人間は言葉で世界を認識しているからだ。プルーストやジョイスなどとの相関性も感じさせられた。こんな本を三十代で書き上げていたなんて、すごいとしか言えない。

Dark

← リチャード・ロイド・パリー著『黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』(濱野 大道【訳】 早川書房) 書評でも評価が高い。文庫版が出たら読もうと思っていたけど、我慢できずに手を出しちゃった。

 次いで、リチャード・ロイド・パリー著の『黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』を読み始めた。
 今は富山に舞い戻っているけど、9年前まで東京に30年在住していた。
 オートバイで、車で、徒歩や電車で都内を大概の人よりは深く濃く巡って回った。
 たまに赤坂などのマンション群の中を巡ると、あの深窓には何か秘密があるに違いないと感じた。
 ルーシー・ブラックマン事件が発生した当時、タクシードライバーだったので、六本木や赤坂の瀟洒なマンションの奥の秘密を垣間見た気がした。
 せっかくなので、軽く掌編を書いてみたりも:
 

 雨の夜、赤坂のとある隠れ家を訪れた。
 曲がりくねった緩やかな坂道を登り切る途中に、苔むしたブロックの壁を穿つ 小さな穴がある。
 それは単なる穴ではなく、通路だということは、界隈を歩き慣れた奴なら知ら ないわけもない。しょぼくれた街灯の光など、差し込むはずもなく、そんな穴の 中を夜中に覗き込む奴などいない。オレくらいのものか。
 穴蔵のようなトンネルを抜けるとマンションに囲まれた小さな公園がある。ほ んの数分も歩けば、上を高速道路も走る幹線道があるとはとても信じられない閑 静な一角だ。昼間はサラリーマンや近所に住む連中の格好の休憩所になっている。
 が、オレの向うのは、そんなしみったれた公園ではない。通路の途中にさらに 別の穴が開いている。が、錆び切った鉄柵で行く手を阻まれているので、昼間で もさすがにそこまで入り込む奴はいない。仰々しいような錠前が降りているので、 関係者以外は立ち入れないような印象を与えているのだ。
 その錠前は飾りだけの鍵に過ぎないことをオレは知っている。鉄柵の後ろ に手を伸ばして楔となっている金棒を横に引けば、あとは柵を押せばいい。注意 深い奴なら、この作が時折は開けられている跡がコンクリートの床に刻まれてい ることを見逃さないだろう。
 シトシトと冷たい雨が降り続く。時折、通路の天井から雨の雫が垂れ落ち、小 さな音を立てて砕け散る。あとは何も聞えない。まるで音という音が闇の口に吸 い込まれてしまったようだ。そうだ、闇は、夜の禍禍しささえも剥き出しにする。 黒雲に遮られたはずの月の影さえもオレの瞳に浮かべてしまう。オレの暗い海を さえ、韜晦してしまう。
 その静寂も、やがては破られる時が来る。破るのはオレの手によって。ああ、 爛れた心臓のようなお前の紅の肌に触れたい。
 柵の向こうに入り込む。通路は公園の真下を抜けて、ある腐って誰も住まない ようなマンションに導く。闇の世界へ通じる小道。真っ暗闇だ。慣れているオレ も、時折はライターの火で足元を照らさないと足取りが覚束なくなる。
(拙稿「薔薇の園にて」より抜粋)

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