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2015/07/04

シャボン玉飛ばそ

 人は命だ。
 命の玉だ。
 玉のような命だ。

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→ お絵かきチャンピオン 作「シャボン玉王国」

 風船のように弾けほどの命が詰まってる。
 漲る命が胸をいっぱいに膨らませている。
 風のように息が体の中を通り過ぎていく。
 吸っては吐いてを繰り返し、命が車輪となって転がっている。

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2015/07/02

息をする

 息をしている。息をスーハーしている。
 スーハーと吐き、スーハーと吸っている。
 うん? スーと吐き、ハーと吸う?
 それとも、スーと吸い、ハーと吐く。

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 一体、吸うほうと吐くほうの、どっちが最初だったんだろう。

 気まぐれにちょっと、ほんのしばし、吸うををやめてみる。そう、吐くのもね。
 数秒、数十秒。

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2015/07/01

何もかもが歌ってる

 花たちが躍っている、魚のように。
 花たちが歌っている、鳥のように。

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→ そらい@抽象画

 青空いっぱいのこの世界がステージ。
 海より広く深い世界がステージ。

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2015/06/30

本多裕樹の世界へ

 何処かカシニョール風なタッチの女性像。でも、カシニョールの描く女性ほどにアンニュイではなく、夢見る、やや背伸び勝ちの少女風である。
 シャガールほどには奔放な想像力を働かせるわけではなく、ローランサンの描くような、内に秘めたる強い意志を持つ女性たちとも違う。
 
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← 本多裕樹作「 ? 」 自由になり、心がやさしい心情にならないと芸術は降りてこないものです。よく、「愛深き者に神は降りる、芸術が天下ってくる」というが、わたしには愛は語れない。なぜ?、僕自体が人間的に完成していないからです。愛についても学習中です(← 作者談)。

 いい意味で青春の香りが漂う。描き手の若さを感じさせのだ。これはいいことだろう。
 瞑想的であり、思索的たらとしている。

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2015/06/29

富山市の中心部に森と水のゾーンを

 富山市に帰郷して最早8年余り。
 郷里での生活に慣れた…のだろうか。
 でも、無いものねだりとは重々承知しつつも、町に物足りなさを感じてしまう。
 それは、ブラタモリでタモリが度々言うように、坂や段差が少ないから、なのかもしれない。。
 東京暮らしが30年と長すぎたし、その前の仙台暮らしも6年。つまり、郷里を36年も離れていたことになる。
 東京は、23区だけでも、坂(道)が800ほどもある:
坂学会/東京23区の坂
東京23区(の坂道

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2015/06/28

沈黙 それとも 夢魔

 エロティシズムへの欲望は、死をも渇望するほどに、それとも絶望をこそ焦がれるほどに人間の度量を圧倒する凄まじさを持つ。
 快楽を追っているはずなのに、また、快楽の園は目の前にある、それどころか己は既に悦楽の園にドップリと浸っているはずなのに、禁断の木の実ははるかに遠いことを思い知らされる。

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← フュースリー『夢魔 The Nightmare 』(1781年 Oil on canvas  101 x 127 cm) (画像は、「ヨハン・ハインリヒ・フュースリー - Wikipedia」より) これが、「フロイトがウィーンのアパートにそのコピーを飾っていた」(「フュースリー (ロマン派))作品。

 快楽を切望し、性に、水に餓えている。すると、目の前の太平洋より巨大な悦楽の園という海の水が打ち寄せている。手を伸ばせば届く、足を一歩、踏み出せば波打ち際くらいには辿り着ける。

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