病床で最後に手にする本は
ポール・オースター著の『最後の物たちの国で』(柴田 元幸【訳】 白水Uブックス)を12月2日の未明に読了。
← チェーホフ 作『六号病棟・退屈な話 他五篇』 (松下 裕 訳 岩波文庫)
なので、今日は何を読むか、全く未定。
思えば、一昨日は、未明からの左下腹部の痛みで、午後の一時半ごろまでずっと苦しんでいたっけ。なのに、バカみたいに横たわっているのが勿体ないと、幾度となく上掲書を手にしたものだった。
むろん、数頁も読めない。読めるわけがない。
病床に横たわっているしかない身になったら、いくら読書好きな人間でも本を読む気力さえ、なくなってしまう。
それでも、病膏肓の耽読人間だったら、最後にはどんな本を手にするか、という問いかけを埴谷雄高がある随筆の中でしていた。
彼の答えは、天文学の本だったと記憶する。あるいは、探偵モノだったか。
自分だったらどうだろう。心がめげそうになり、本など手にするどころか、眼中にもなくなってしまう……そんな状況に追い込まれて、さて、そんな時、いったい自分は何をするだろう。吐きたいほどの淋しさを覚えても、誰一人会いたい人、逢ってくれる人もいない自分。その胸に飛び込む相手もいないし、カネに飽かして女を買う無鉄砲さもない自分。
そんなどん詰まりの状況にあっても、目が潰れていなくて、本を持てるくらいなら、何かしら本を読むのだろうか。
そんな時、書棚を見渡す。心の友、心の支えとなる本は、いったい、どの本なのか。
我が青春の書は、ドストエフスキーの『罪と罰』、セリーヌの『夜の果ての旅』とか、数冊はある。
でも、おそらくは埴谷のように、天文学か数学か物理学かの本になるような気がする。永遠に見果てぬ真実の世界。哲学ほどに極めがたき学問はおそらくはない。宗教心の欠けらくらいは自分にだって見いだせないことはないと思うけど、宗教書ってことはない。聖書でもないし、親鸞の『歎異抄』でもない。
数学…というより算数の本かもしれない。高校時代、デカルトやルソー、ベルクソン、フロイト、親鸞、パスカル、などと、中央公論社の世界の(日本の)名著シリーズを読み漁っていった。
あるいは、想像もしないパスカルやデカルトなのか。デカルトの諸著を鉛筆片手に丁寧に読んだものだった。
青春時代の諸著なのはそれらだ。
あるいは、大学に入学して間もないころ、ヘーゲルの『精神現象学』(あの作品社の長谷川宏訳のものじゃなく(これは途中で挫折)、樫山欽四郎訳『精神現象学 』(『世界の大思想 ヘーゲル』所収・1973・河出書房新社)だった)を懸命に読んだものだった。分からない、理解も及ばないのだが、若きヘーゲルの情念は訳文の行間に感じた。
もしかしたら、この『精神現象学』、あるいはこれを読んでいた当時の自分。
話が脱線した。『最後の物たちの国で』は、回復後、せっせと読み始めて、就寝前にはあと20頁ほどだったのだが、寄る年波には勝てず、寝入ってしまい、真夜中過ぎ、ふと尿意で目覚め、残りを読み通したのだった。
さて、今日は遅い目覚めになり、午前11時過ぎ、ようやく本を読もうかなという状態に。
ケルアックの本を読むかと、一旦は序文は読んだのだが、ふと、目の前の書棚にあるチェーホフに目が合い、三冊あるうちの、傑作の入っている『六号病棟・退屈な話 他五篇』を手に取った。
数年前、『サハリン紀行』は読んだが、チェーホフの作品は戯曲も含め、ホントに数十年ぶりではないか。
こんなに間が空くとは思いがけなかったが、ある意味、チェーホフの作品群は、温存していた、切り札のようなもの。そろそろ、チェーホフの世界に改めて浸ってもいいはず。
自分がそれなりに読書体験を重ねてきた中で、短編の中では世界最高峰なのだよ。
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コメント
たぶん、読むより書くほうがいいんじゃないでしょうか。
言葉のつながりを考えていると、気が紛れます。
病床で作品を仕上げた作家もいますからね。
でも、凡人では、痛くてはかどらないかもしれません。
腹痛に苦しんでいたとき、NHK教育の「名曲アルバム」を見て過ごした記憶があります。
外国の美しい街並みが、鎮痛剤になりましたよ。
投稿: 砂希 | 2015/12/04 21:35
砂希さん
病床で書く余力があれば、何か書くかもしれないですね。
でも、起き上がって書くなんてできるかどうかという状態に追い込まれたら、の話です。
そこは、気力次第ですね。本人が一体、何に執着しているか。
仰られるように、肉体的に途方に暮れた時、あるいは精神的に追い詰められたとき、NHK教育の「名曲アルバム」などをぼんやり見て過ごした記憶は小生にもあります。
身近では見られない、その意味で現実離れした美しい風景と、素敵なきれいな曲とに気を紛らす……最後は、それしかないのかもしれません。
投稿: やいっち | 2015/12/05 20:52