「富山文学ゆかりの地」の周辺
まがりなりにも読書が好きで、読む本のジャンルは雑多に渡るものの、メインは文学(小説)である。
← 柏原兵三著『長い道』(桂書房) (拙稿:「柏原兵三著の『長い道』を読み始める」参照)
7年余り前に帰郷したが、未だに富山の地に馴染みきれていないと感じている。地元の人たちとの交流が薄いのか、そもそも物心ついてから、高校時代までの富山(地元)の心象風景が帰郷したころには最早ほとんど失われてしまっていたからか、あるいは、幼少年時代の友達との交流が皆無だからか。
東京在住時代は、東京という大都会の片隅で息を潜めるようにして生きていた自分や、東京にあってこそ思いを募らせていた富山(昔の!)への郷愁の念が、数多くの文章を書かせてくれた。
それがいざ、事情があって帰郷してみると、浦島太郎的な自分を感じていて、地元で…というより、時空間全体として、浮いている自分を見出し、当惑するばかりである。
富山、それも我が郷土たる富山市の市街地に想像を掻き立てるものがない(あくまで自分にとって、である)。
なぜなのか、帰郷しての数年、当惑の念と何か居たたまれない気持ちとを持て余してきたものである。
それなりに(熱心にとは言い難いが)、富山関連の本を読んできてはいる。今だって、芥川賞作家・堀田善衞の本を読んでいる真っ最中だし、昨年は、芥川賞作家・柏原兵三の小説『長い道』を読んで感銘を受けたばかりである。宮本輝の芥川賞受賞作品である『螢川』も二度ばかり読んだことがある。
俳人・前田普羅も、本ブログで扱ったことがあるし、角川源義の句も、扱った…ような。新田次郎の小説『劒岳 点の記』も読んだ。映画も見た。高橋治の『風の盆恋歌』も、とっくに読んでいる。
源氏鶏太といえば、往年の直木賞受賞の人気作家である。小説は一昨年読もうとしたが、読むに堪えなかった。でも、ガキの頃は同氏原作の映画は何本も見たものだ。
なぜか「高志の国文学館 KOSHINOKUNI Museum of Literature」の主な紹介頁には登場しないが、富山所縁の作家・久世光彦の本は、図書館である限りの本を読んだ(近く読み返したい):「無言坂…早く昔になればいい」
同じく、「高志の国文学館 KOSHINOKUNI Museum of Literature」では名前の見出せない(あるのかもしれないが)小寺・菊子も数年前、本ブログで扱っている:「富山県ふるさと人物データーベース 資料記事一覧」
やはり、「高志の国文学館 KOSHINOKUNI Museum of Literature」では名前の見出せない芥川賞候補作家の岩倉政治には、小生の旧作を読んでもらったことがある。同氏は、富山でも忘れられた作家となりつつあるのか…。
『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)が近頃話題の山内マリコ作品は未読である。
せっかくなので、「高志の国文学館 KOSHINOKUNI Museum of Literature」なるサイトの力を借りて、富山の文学の全体像を大まかに掴んでおきたい。
そのうえで、徐々に本腰を入れて、富山の文学を探求してみたいものである。
← 久世 光彦 (著)『早く昔になればいい』(新潮文庫) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販サイト」より) (拙稿:「無言坂…早く昔になればいい」参照)
以下は、「高志の国文学館 KOSHINOKUNI Museum of Literature」からの抜粋である。
おいおい、自分なりに肉付けするなり、裏付けするなりしてみたい。
富山市街地を流れるいたち川は、豊かな地下水に恵まれ、川べりでは、万病に効くとして古くから伝わる延命地蔵尊など、湧水が多く見られます。少年時代の一時期に富山の地に住んだ作家の宮本輝は、このいたち川などを舞台に、小説『螢川』を執筆し、芥川賞を受賞しました。昭和61年(1986)に映画化され、ロケが行われた富山市辰巳町には記念碑があります。
また、いたち川が流れる富山市泉町の橋のたもとには、サラリーマン小説で一世を風靡した地元出身の直木賞作家・源氏鶏太の随想『一本の電柱』の文学碑が建てられています。
富山市中心部にある富山城址公園には、高浜虚子門下の四天王の一人に数えられた俳人・前田普羅の句碑があります。普羅は、そそり立つ立山連峰を仰ぎ見て、富山に住むことを決めました。雄大で美しく、かつ厳しくもある富山の風土は、日本を代表する美術評論家で詩人の瀧口修造や、角川書店を創立した俳人・角川源義など、多彩な人材を育てました。
富山市八尾町では、初秋の風が吹く毎年9月1日から3日にかけて、「おわら風の盆」が行われます。哀調をおびた唄と胡弓の音色にあわせて、編笠姿の男女の列が、踊りながら町を練り歩きます。高橋治の『風の盆恋歌』や五木寛之の『風の柩』の題材にも取り上げられました。また、町内には、歌人・吉井勇の歌碑などがあります。
新田次郎の小説『劒岳 点の記』は、前人未到といわれた剱岳を舞台に、登頂と測量に挑む男たちの姿を描いたロマン溢れる作品で、平成21年(2009)に映画化されました。
幼年期を富山で過ごした歌人・作家の辺見じゅんは、エッセー『立山の精霊市』で、立山信仰の魅力や立山への思いをつづっています。
黒部峡谷は豊かな温泉にも恵まれ、富山にゆかりの深かった昭和の詩人・田中冬二は、黒部峡谷の秘湯・黒薙温泉をたびたび訪れて『くずの花』などの詩を残しました。黒部峡谷の玄関口にある宇奈月温泉には、開湯以来、多くの文人墨客から愛されてきた歴史があり、志賀直哉が小説『早春の旅』で描いたほか、歌人の与謝野寛・晶子夫婦や宮柊二・英子夫婦、西脇順三郎らも訪れました。
高岡市伏木はかつて北前船の一大拠点として栄え、港への出入りを見張った望楼が市内で唯一残る「旧秋元家住宅」は、資料館として開館しています。当時の廻船問屋の情景は、地元出身の芥川賞作家・堀田善衞の『鶴のいた庭』に描かれています。また、室生犀星の小説『美しき氷河』も、北前船で栄えた伏木の町を舞台にしています。
高岡市関本町にある瑞龍寺は、高岡の町を開いた加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺で、曹洞宗の名刹です。三代藩主前田利常の建立で、(中略)少女期を高岡で過ごした木崎さと子の小説『楼門』では、作品の重要な舞台の一つになっています。
入善町の上原小学校跡地には、芥川賞作家・柏原兵三の小説『長い道』の文学碑があります。疎開中、柏原が身を寄せた入善町吉原から旧上原小学校まで真っすぐ延びる一本道が小説の舞台となりました。『長い道』は、漫画家の藤子不二雄Ⓐが『少年時代』として漫画化し、篠田正浩監督によって映画化もされました。
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