『ナナ』から『脳のなかの天使』へ
会社の仕事のほうはやや不調である。会社の壁には売上表が張られ、小生は全体の中の中くらいがやっと。
組合の役員をやっているせいで、中途半端になりがち。どっちも半端。…なんてのは言い訳に過ぎないのだろう。
← V・S・ラマチャンドラン (著)『脳のなかの天使』(山下 篤子 (翻訳) 角川書店)
我ながら情けない。いろいろやらないといけないことが多いが、それでも、時間を搔き削ってでも、本を読む時間を確保している。雑務に関心がつい吸い寄せられるが、かなりの努力を払わないと、読書に専念できない。
というより、ホンの数頁読むと、ああ、そうだ、あの用事があった、あの件で電話しないと、あの件はどう考えをまとめようか、などと本の世界からまるで違う日常の猥雑な世界に引き剥がされていく。
あるいは、ちょっと目を閉じると、居眠りしてしまう。
若いころのように、読書にどっぷりというわけにいかない。体力も気力も何もかもが衰退している?
でも、誰とお喋りできるわけもなく、録画したテレビ番組ばかりってのも芸がないし、読書で脳のなかだけでも、世界を広げたい、脳みそに新鮮な空気を吸い込ませてやりたいのだ。
エミール・ゾラの『居酒屋』に引き続き、名作の誉れ高い『ナナ』を読んだ。
ゾラを再認識させられた、この二作だった。19世紀後半から終わりにかけてのフランス(パリ)の美と醜、高邁から俗悪をその両極まで描いて、実に素晴らしかった。
男女の機微などを描ききっていて、圧倒された。こうした情愛の世界は、ドストエフスキーにもプルーストにも描けない(期待するのが的外れだろうが)。
亭主の暴力に苦しみながらも、夫から離れられない女の機微を描いて、見事だが、息が苦しくなるほど。
でも、こういった痴話喧嘩の連続が一つの現実なのだろう。競馬のシーンなども見事である。
小説が続いたので、ちょっと前に関心を戻す。
どうも、小説など文学作品を読むと、科学の世界に触れたくなる。
自分の中のバランス感覚なのか(どんな意味のバランスなのか、自分でも分からないが)。
ちなみに、車中では(なかなか読む時間が作れないが)、木村 俊一 著の『数学の魔術師たち』 (角川ソフィア文庫) を読んでいる。科学じゃなく、数学だし、数式に弱いけど数学が好きな小生のような者が楽しむための本。
スタニスラス・ドゥアンヌ著の『意識と脳―思考はいかにコード化されるか』(高橋 洋【訳】 紀伊国屋書店)を読んで、脳科学の進展ぶりに驚きと感動の念を覚え、もう、2年前の本だけど、V・S・ラマチャンドラン (著)『脳のなかの天使』に手を出した。
← ゾラ (著)『ナナ』 (川口 篤/古賀 照一訳 新潮文庫)
あの『脳のなかの幽霊』の書き手である。こちらは有名すぎて、題名や引用を何度も目にし、読んだような錯覚さえしそうだが、おそらくは小生、読んでいないはず。「幽霊」じゃなく「天使」のほうだけど、脳科学の(翻訳の上での)最前線に触れてみたい。
とにかく、ラマチャンドランの本は内容が高度なのに、門外漢の小生でも読みやすいのがいい。ラマチャンドランの本にはスタニスラス・ドゥアンヌの論文(や本)への言及があるし、その逆もあったりして、どちらも脳科学(神経学)において世界的な知名人。
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