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2015/11/12

『意識と脳』に続いて『ホンダジェット』へ

 気忙しい日々が続いている。家での雑用(と言い切れないが)を可能な限りさぼって、読書と居眠りする時間を確保している。

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← 前間 孝則著『ホンダジェット  開発リーダーが語る30年の全軌跡』( 新潮社) (画像は、「hontoネットストア」より)

 ほかに楽しみのない小生には、わずかな読書の時が唯一の憩いの時なのである。
 といいつつ、やはり限られた時間の中では読める本の数もたかが知れている。積読本が増える一方なのは、悲しい現実。読むペースが遅いってのもある。
 まあ、マイペースで行くしかない。

 昨日未明、スタニスラス・ドゥアンヌ【著】『意識と脳―思考はいかにコード化されるか』を読了した。前夜のうちに読み終えたかったが、眠気に負けてしまい、ふと目覚めたら朝の4時過ぎ。目を閉じていても眠れそうにないし、トイレを済ませた後、残りの20頁ほどを読み切った。
 本書についての感想は、小生ごときが書くにはややレベルが高すぎる。
 ただ、脳科学の進展ぶりに驚かされたのは事実。
 特に、「近年、fMRI (functional magnetic resonance imaging)、MEG (Magnetoencephalography)、EEG (Electroencelphalography)などの生体観測技術の進歩」ぶりは凄まじいものがあるようだ。
 本書でも、これらの技術を駆使した研究成果がたっぷりと盛り込まれていた。
 だからこそ、脳波を検知してロボットスーツを操ることも可能になってきたのだろう。

 本書についての感想は、ネットで見た限り、「意識と脳 思考はいかにコード化されるか-スタニスラス・ドゥアンヌ-高橋 洋 - 本:hontoネットストア」に載るものが的確だし、分かりやすい。

 特に以下のくだりは、小生も同感共感である:

特にデビッド・チャーマーズらが唱える、意識を巡る議論の中で常に発生する主観の問題、いわゆる「ハードプロブレム」について、一般には多くの議論が残る中で、著者は最後の章の中で明確に割り切った態度を表明している。著者の見解はこうだ。「ハードプロブレムがむずかしく思えるのは、不明瞭な直観が関与しているからだ。認知神経科学とコンピューター・シミュレーションによって私たちの直観がひとたび訓練されれば、チャーマーズの言うハードプロブレムは消えてなくなるだろう。いかなる情報処理の役割からも切り離された純粋な心的経験としてのクオリアという仮説的な概念は、十九世紀の生気論のごとく前科学時代の奇妙な考えと見なされるようになるだろう」(p.362)。そして、「意識の科学は、ハードプロブレムを徐々に解体していき、やがてこの問題は消滅するだろう」(p.362)と明言する。同じく、自由意思につても、自律性という概念に置き換えることを提案し、それは機械にも実装可能なものであるとする。「要するに、クオリアにせよ自由意思にせよ、意識を備えたマシンという発想に対して、重大な哲学的問題をつきつけたりしないということだ」(p.366)という。この意見が意識の科学の中で支配的な考えとなっているのかはわからないが、クオリアの定義などには常にいかがわしさを感じていたこともあり、実のところ自分の考えもこれに近いものだという感想を持つこととなった。要するに意識を説明するのにクオリアというものを持ち出す必要は、この世界を説明するのに神を持ち出す必要がないのと同じと考えるべきなのだ。

Conscious

← スタニスラス・ドゥアンヌ【著】『意識と脳―思考はいかにコード化されるか』(高橋 洋【訳】 紀伊国屋書店) (画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 今日からは、前間 孝則著の『ホンダジェット  開発リーダーが語る30年の全軌跡』を読み始めた。
「30年前、社内にも極秘で始まった研究開発は、悪戦苦闘を経て、世界の賞賛を浴びた…。グローバル化の時代を大きく先取りした極めてアグレッシブな挑戦、ホンダジェット開発の軌跡を辿ったビジネスノンフィクション」といった本。
 ビジネスモノというか、ビジネスノンフィクション本を読むのは、実に久しぶり。
 というのも、テレビのニュースで、このホンダジェット機が飛ぶ雄姿を見て、ひとめぼれしたから。 
 少なくとも一時期、ホンダの車作りが(だけではないかもしれないが)やや精彩に欠けるように感じられていただけに、さすがホンダだ、独創的なジェット機を開発し実用化に至らせていたんだと感激し、新聞で本書の刊行を知り、予約注文までしてゲットした。
 ただ、内容については、感想も何もこれから読むから別儀として、本書に肝心のホンダジェット機の雄姿の写真が(白黒の数枚を除いて)ごく少ないということだ。
 メカニズムもだが、姿格好のユニークさ、格好の良さも売り物なんだから、カラー写真の数枚も掲載してほしかった。こういうのが、店頭で手にして買わない場合のリスクだ。写真が載っていないと分かっていたら、入手したかどうか、微妙なところだ。

 尚、今朝、『居酒屋』に引き続き、ゾラの『ナナ』も読み始めたが、上掲書を手にしたので、若干の中断である。これはこれで読むのが楽しみ。

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