轆轤っ首の女
公然たる光の中では、杓子定規に振る舞うしかなかったのが、それこそ、あの音に合わせて踊る玩具の花・フラワーロック のように、自由を謳歌して舞い狂っているのかもしれない。
見れば、得体のしれない花たちは、野原に放置された真っ青な壺から這い出ている。
蒼穹の青、紺碧の青、群青の青の壺どもだ。
いや、宵闇に青く染まっているだけで、ホントは、蒼白の壺なのかもしれない。
そう、昔、誰かが「髑髏の色は「白」を意味する」といっていた、風雨や直射日光に晒され磨き抜かれた、あの目映すぎる骨壺のようでもある。
中を覗くと、骨の欠けらが、無数の蛆のように犇めき蠢いてるに違いない。
だから、あの禍々しい、轆轤っ首のような花ばかりが我が物顔に天に向かってどこまでも伸びていこうとするのに違いにない。
お前は怖がっている……
誰かが私にそう囁きかけた。
怖がる? オレが? なぜ?
ふーん、怖くないってんだな。じゃあ、瑠璃色の壺の中を覗き込んでみろよ。
ふん、藍色の壺の何処が怖いってんだ。
今にも漆黒の闇に呑み込まれそうじゃないか、早く覗いてみるんだ。
私は、臆病者と思われたくないという、ただそれだけの理由で壺の中を覗くことにした。嗤う花たちが身を捩らせくねらせて私に絡みつこうとする。
鏨のような茎に巻き付かれたなら、私の身は皮が食い破られ、骨の髄まで食い込まれ、早晩、ズタズタに引き千切られてしまうに違いない。
でも、私には選択の余地がないのだった。生きる余地は、壺の中にしかないと感じていた。
緑青の海を覗き込み、飛び込んでいく、そんな覚悟を決め、私はプルシャンブルーの闇を覗いてみた。
そこに見えたのは、骨も身も奪われつくした、魂の抜け殻のような、蒼白なまでに高貴に光り輝くあのひとだった。
ああ、そうだった。私が、あの日、嬲り殺した、あの人の、美しすぎる白骨が、私を呼び込もうと、実を粉にし、滋養となってまでも、咲き誇った花たちなのだった。
[文中に挿入した画像は、いずれも、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」に掲載されています。]
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