ミヒャエル・エンデの前にエドガー・エンデなど
ミヒャエル・エンデ 著の『だれでもない庭 エンデが遺した物語集』 を読み始めた。
→ 以下、いずれもエドガー・エンデ作品 (画像は、「3分でわかるエドガー・エンデ(1) ミヒャエル・エンデの父親 ロマンチックなシュールレアリスト、エンデの生涯と作品 ノラの絵画の時間」より)
かねてより、エンデの本は読みたかったが、なかなか手が出ない。過日、書店に立ち寄ったら、本書が目についた。手に取って、パラパラ捲ってみると、直感的にいい文章だと感じた(生意気な言い方ですみません)。
なので、すぐに買い物かごに。今日、ようやく読み始める。
← ミヒャエル・エンデ (著)/ ロマン・ホッケ (編)『だれでもない庭 エンデが遺した物語集』 (田村 都志夫 (訳) 岩波現代文庫) (画像は、「hontoネットストア」より)
まだ、感想をどうこういう段階ではないので、今日は、ミヒャエル・エンデの父である、エトガー・エンデの絵の世界に少し触れてみる。エルンストの、キリコの、デルボーの雰囲気を連想させるが、どこかプロテスト的な何かメッセージのようなものを感じる。
フロイト一流の精神分析を施すには、やや政治的傾向を帯びすぎているのかもしれない。
「新進の画家として注目されたが、帝国文化会への入会を拒否したことから、ナチス政権下、退廃芸術家の烙印を押されて芸術活動を大幅に制限された。1940年には徴兵され高射砲部隊に配属される。その年齢から、懲罰的な徴兵であったと思われる」(「エドガー・エンデ - Wikipedia」より)といった経歴が先入観のように、脳裏にこびりついているからの、偏見なのかもしれないが。
→ ミヒャエル・エンデ /イェルク・クリッヒバウム著『闇の考古学―画家エトガー・エンデを語る』(丘沢 静也訳 岩波書店) (画像は、「Amazon.co.jp 通販」より)
「3分でわかるエドガー・エンデ(1) ミヒャエル・エンデの父親 ロマンチックなシュールレアリスト、エンデの生涯と作品 ノラの絵画の時間」によると、「エンデは、何日間もアトリエを暗くして、その中で頭に浮かび上がってくるイメージを描き留め、作品にしていました。そのため、エンデは「暗闇の画家」とも呼ばれています。ときにはスケッチから作品が仕上がるまで何年もかか」ったとか。
「エドガー・エンデ - Wikipedia」によると、「エドガル・カール・アルフォンス・エンデは、ドイツのシュルレアリスム画家・児童文学作家。ミヒャエル・エンデの父親」である。
そのミヒャエル・エンデは、父エドガー・エンデの絵の世界について、本書では、以下のように語っているとか(「「闇の考古学 画家エドガー・エンデを語る」 - 吾」より):
「死の島」などを描いたベックリンの孤独は気分的な孤独です。いわば、つかまえることのできる孤独です。
父の場合は、宇宙的な、したがって神話的な孤独になっています。
無限のからっぽの空間、そのこどこかでなにかが行われ、なにかが起きる。まったく別の孤独なのです。

← 人生後半の頃には、こういった作品も。 (画像は、「3分でわかるエドガー・エンデ(1) ミヒャエル・エンデの父親 ロマンチックなシュールレアリスト、エンデの生涯と作品 ノラの絵画の時間」より)
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