ゾラ『居酒屋』を読む
比較的近年だと、『制作』は読んだのは記憶に新しい。
「画家クロードの作品創造の苦闘と自殺にいたる悲劇を描きながら、彼の友人として登場する小説家に托して、ゾラの体験と思想・感情を色こく反映した自伝的小説」といった小説だが、絵は描けないが、描きたいという願望だけは持っていて、画家の描かんとする衝動や本能に少しでも迫りたくて、この題名だけで手を出したものだった。
あとは……たぶん、読んでいない(調べたら、わずか5年前に『テレーズ・ラカン』などを読んでいた:「ゾラから我が旧著へと」!)。
最近、ある文学者の文学講義の本を読んで、刺激を受け、ゾラを自分なりに再評価してみようとこの『居酒屋』と『ナナ』の二冊を入手。まずは『居酒屋』を読みだしたわけである。
もしかしたら、『ナナ』も、小説のテーマからして、小生が手を出さなかったわけがないと思うのだが、記憶が曖昧で、こうなったら、『居酒屋』のあとに、『ナナ』そして『ジェルミナール』と一気に読んでいこうと思う。
今、『居酒屋』を3分の1ほど、読み進んだところだが、そこまでいかなくても、ゾラの小説世界の並みでないことを実感させられている。これだけたっぷりと書き込んで、しかも、ダレルことのない、結構濃密な文章を書き続けられるということ。
本書については、たとえば、「707夜『居酒屋』エミール・ゾラ|松岡正剛の千夜千冊」などに当たってもらいたい。
松岡正剛氏によると、「ジュリア・クリステヴァは、ゾラには悪と不幸を極限にまで語る可能性が試されていると見た」というし、「作家にとってのゾラの方法は見逃せないはずなのに、これについても小杉天外や永井荷風や島崎藤村らを除いて、日本の作家はどうにも淡泊だった」というのだが、小生がこの20年来、関心を持ち続けてきた、島崎藤村の描き切る精神がゾラに通底するというのは、なんだかうれしい気がする(小生の藤村への思い入れについては、拙稿「藤村『千曲川のスケッチ』」などを参照のこと)。
← エミール・ゾラ (著),『制作 (上)』(清水 正和 (翻訳) 岩波文庫)
そうそう、「ゾラがクロード・ベルナールの『実験医学序説』その他の熱烈な信奉者であって、当時の曖昧きわまりない遺伝学の傾倒者であったことは」、過去に読んできたゾラの本の解説などで知らないわけではなかったが、彼の戦闘的なまでに科学者的な写実精神は、凄みがあり、もっと高い評価が日本でもあってしかるべきだと思うのだが、私小説的な精神に「沈湎」してはばからない日本人には、高望みすぎる、筋違いの要求ということになるのか。
でも、スポーツにしろ政治にしろ、文化や経済にしろ、世界の潮流に呑み込まれ…つつある日本である以上は、泳ぎ切る可能性を見出すためにも、こうしたゾラの描き切る精神も現実味を帯びつつあるのかもしれないと思ったりもする。
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