校正ミスはそのまま
クソ暑い日日の続く中、車中の友として選んだ一冊。
忙中閑ありという言葉がある。忙しいかどうかはともかく、息抜きに読む本が楽しみ。長く待たされることが往々にしてある仕事だが、そんな時間にこそ、本が御馳走なのである。
→ 数日前、出社しようと、車を庭先から出そうとしたその瞬間、この花の開花に気がついた。目線がちょうど、花と同じ高さだった。忙しさにかまけて、庭の雑草は伸び放題となっている。ただ、そのおかげで、ただの草の状態の段階で、これも雑草だとばかりに、毟り取られる悲劇を回避できていたのだろう。よくぞ、生き延び、花咲いてくれたものである。
東京在住時代も同じ仕事だったが、車中の友はラジオであり、音楽だった。
悲しいかな富山では、ラジオは聴く気になれないことが多い。
やはり、ラジオ局が少なく、選択の余地が乏しい。東京だと、何処かの局は好きなジャンルや演奏家の曲を流してくれたし、ラジオパーソナリティもそれなりの人物がいた。
今は(富山では)、いないことはないのだろうが、そんな聞くに堪える時間帯やパーソナリティに恵まれることが悲しいほどに少ない。
東京ではありえなかった、ラジオを消したままの時間帯が増えている。
ただ、富山では停車しての待機の時間に恵まれているので(流しでの営業は週のうちのほんの限られた時間帯のみ)、本を読もうと思えば、日に百頁だって読める。
嬉しい…悲しい…惨めな現実である。
さて、一昨日、車中に持ち込んだのは、レナード・ムロディナウ著『ユークリッドの窓: 平行線から超空間にいたる幾何学の物語』 である。書き手が、かの『スタートレック』の脚本家である、レナード・ムロディナウだからなのか、数学の素養のない小生にも読みやすく、読んでいて楽しい。
本書の内容情報によると、「紀元前の古代ギリシャ。単なる測量術にすぎなかった人類の知恵を、「幾何学」という一つの学問にまで高めた数学者がいた。ユークリッドだ。円と直線の組み合わせで描かれる世界観はその後のものの見方を決定づけ、幾何学に革命が起こるたびに、より深い真実があることが明らかになってきた」とある。
← レナード・ムロディナウ著『ユークリッドの窓: 平行線から超空間にいたる幾何学の物語』 (青木薫訳 ちくま学芸文庫)
現代でも時には、画期的な説を唱えると、命の危険、身の危険を覚悟せざるを得ないこともあるが、まして、古代や中世、あるいは近代に至っても、宗教や政治的陋習が数学や科学の行く手に立ち塞がっていた。
科学すること、真実を探求することは、危険な営為だったのだ。
それにしても、古代において、地球の大きさをほぼ正確に計算するとか、月の実際の大きさを算出するとか、天才の偉業というのは、凄まじいものだ。
惜しむらくは、本書、読みやすいのはいいが、校正ミス(漏れ)が。単行本を文庫に入れる際には、校正しないのね。
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