ワイル『精神と自然』を読む
なんだか、久しぶりに骨っぽい本を読んだ感があった。
なんたって、「天才をして「大学者」と言わしめたワイルは実際、かのヒルベルトの後継者としてゲッティンゲンに迎えられた」、そんな人物の講演録なのである。
← ヘルマン・ ワイル (著), 『精神と自然: ワイル講演録』 (ピーター・ペジック (編集) ちくま学芸文庫) (画像は、「Amazon.co.jp」より)
本人は終生、自分は数学者だという認識でいたが、その活躍や業績は数学のみならず、物理学にも渡り、同時に、彼の関心は、哲学にも及んでいた。
多くの数学者(や物理学者、広く科学者)は、哲学なんてまだるっこしいものは時代遅れか、理屈好きの、実際のサイエンスの発展には何ら資するところのないものと考えている(ようだ)。
日本の科学者の本を読むと、哲学なんて科学に無縁の世界と思っているらしい。
が、欧米の科学者には、哲学への造詣の深い人が多い。
まあ、サイエンスの成り立ち自体が、自然哲学との(あるいは、その中での)相克、切磋琢磨から生まれたものだし、特にキリスト教の土壌の厚いヨーロッパは、神や信仰への問いかけは不可欠のものだった。また、そうだからこそ、科学の精神が鍛えられてきたのだ。
日本は(日本なりに科学の伝統はあったものの)、欧米から既成の学問として輸入された。
哲学や思想も輸入されたが、科学とは別個のジャンルとしてだったようだ。
なので、科学がいかに宗教や古代ギリシャ以来の伝統との軋轢の果てに生まれたか、などは、違う教室で教養として関心あるものが学ぶもので、科学者たる者には埒外の代物だった。
だからだろうか、今に至るも、一般向けのポピュラーサイエンス(啓蒙書)を書かせても、欧米の人たちの語りには日本はまだ、全く敵わない。素養の差を痛感させられる。というより、科学への問題意識や自覚が欧米とは格段に違うと感じさせられる。
さて、ワイルは、若き日、カントの『純粋理性批判』を読んで衝撃を受け、そこから時間や空間の認識への関心を深めたという。
カントは時間と空間は世界に存在する客体に固有なものでもなければ、私たちの意識と無関係に存在するのでもなく、むしろ、私たちの知性の基礎となる思考の形式に過ぎないと、『純粋理性批判』で縷々説いている。
つまり、時間と空間を思考の形式と見なし、知覚や感覚の質料的な基礎から分離してしまった。
だが、だからこそ、現象の形式は心的能力の中にアプリオリに用意されていなければならず、一切の感覚とは別個に考察されえるとカントは説いた。
カントにとって、幾何学の基本原理は私たちに有無を言わさぬほど直接に明らかなことだった。カントには、幾何学における諸命題は総合的判断の性格を持つにもかかわらず、アプリオリに成り立ち、経験に裏付けられるものでもないし、実験によって揺らぐものでもなかった(ユークリッド幾何学が念頭にある)。
だが、ヒルベルトに学んだワイルには非ユークリッド幾何学(平行線の定義の問題)を前提にカントの(中のユークリッド幾何学という)常識を疑うしかなかった。カント哲学の基盤事態が崩れ去ったのだ。
若き日からこうして哲学と数学(や物理学)との鋭い問いの日々が始まっていたのだ。
以降、生粋の数学者(物理学者)でありながら、本書でも(ヒルベルトやリーマン、ポアンカレ、エルンスト・マッハ、アインシュタインなどの数学者・物理学者はもちろんのこと)、デカルト、ライプニッツ、エックハルト、T・S・エリオット、エトムント・フッサール、ブレンターノ、フィヒテ、ハイデッガーなどなどの哲学者思想家が登場してくる。それも、思想史に触れるといったものではなく、数学や物理を考察する上での格闘の相手として、深く考察されている。現象学のフッサールをこれほど研究していたとは、全くの予想外だった。フィヒテへの評価の高さに至っては、呆気にとられてしまった。
さて、これほどの天才中の天才の著作(しかも、講演録で読みやすいはずなのだが)なので、理解など到底、及ばなかったが、彼の精神の高みから吹き降ろされる風だけでも、一瞬くらいは吹かれてみたと、自己満足しておこう。感想など僭越至極だしね。
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