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2015/08/30

旧作を読み返して

 この数日、旧作の数々を読み返す作業をしていた。
 特に、『化石の夢』などに収めた作品は、思い入れだけは深い。
 けれど、ツイッターでも呟いたのだが、「かなり生硬な表現。技術が磨かれていない。観念ばかりが先走っている。あるかもしれない詩情が抽象的過ぎる表現に埋没している」という評言に尽きる。
 当時、数年前から特に美術館通いでのテーマであった、抽象表現主義関連やアール・ブリュットの作家や作品の数々への思い入れ、さらには、素粒子物理学関連の著作を読み浸っての、生半可な知識に引きずられているのがあからさまである。

 89年の1月15日に初めてのワープロを入手、24日から創作作業を開始した。
 当時、小生は思いっきり窓際に追いやられ、89年から93年まで、会社に一人居残って夜遅くまで残業の日々が続いていた。たまに夜の十時に帰宅できると、今日は早い! と逆に感激したり。
 88年の2月、34歳になり、四捨五入すると40歳になるという現実が近づいていることに変なプレッシャーを感じてもいた。何もしないうちに人生が終わってしまうという焦りだったろうか。

 なので、ホントに35歳になる直前の89年の1月に秋葉原へワープロを買いに行ったのだ。
 買ったのはソニーの初期の機種。小生はその印字される活字の字体に惚れてしまった。
 インクリボンのインクが白い紙面に打ち出される。特に、一度使ったインクリボンを巻き戻し、二度目に印字すると、文字がやや掠れるので、書体と相まって、味わいが深まる。
 白い紙面の活字で現れてくる自分の評言の世界。活字の文字に初心だった小生、作品の良さと勘違いもしていたような気がする。

 毎夜のように夜半に帰宅し、ワンルームの部屋の片隅で、机の上のワープロに向かい、ただただ想像の世界をえぐり取っていった。創作というより、上記したように、ポロックやヴォルス、フォートリエ、デュヴュッフェ、クレー、ムンクなどの絵を前に置いて、その絵から喚起されるイメージ世界を、ひたすら刻印していく。
 意味も脈絡もなく、空っぽな脳裏にオレンジ色に炸裂するイメージの欠片たちを、真っ暗闇に血潮で描かれる鮮血のシュプールを、それとも濃紺の海に浮かび上がる星屑にも似た、肺胞の泡沫を、白い紙面に叩きつける、ある意味、単純すぎる作業。

 毎夜、真夜中過ぎに、一時間だけ、時間を搔き削るようにして、数百字ほどの断片を捻り出していく。
 そんな詩文(上等すぎる褒め方!)を毎日毎日、綴り上げていって、数百個の断片が積み重なっていった。
 自分としては、懸命に生み出したつもりなので、クリヤーファイルに一枚一枚封入していった。
 94年の3月に会社を首になった。前月の2月下旬まで入院していたのだが、退院してきた翌日に首を言い渡された。確か、誕生日だったっけ。

 無職となったが、半年ほどは失業保険で食える。
 その半年の間に、堆積した断片の数々のうちからある程度を抜粋し、つなげ合わせる。
 もともと、筋を立てて作ったわけではないので、つなぎ合わせるのが創作するより大変だった。
 読まれる方が、いったい、何が書いてあるのかわからないのも、無理はない。
 もともと筋はないのだから。断片を無理やりにつなぎ合わせただけなのだから。
 ほとんど似たり寄ったりの短編が幾つか仕上がった。

 腕力だけで繋ぎ合わせたと言えるような、肉片ならぬ断片を固めた、フランケンシュタインのような短編の数々。
 電気の力ではなく、腕力と意地だけが接着剤。
 翌年にも、『緋襷(ひだすき)』という短編集を出した。『緋襷』と『化石の夢』は、姉妹編のようなもの。退職金をすべて注ぎ込んだ!

 同時に、失業時代の94年の4月から翌年の3月までの間、長編に挑戦していった。毎日、十枚の創作をずっと!
 月に300枚のまとまりをいったい、いくつ、作ったことやら。
『水底の墓標』、『スパニッシュ・モス』などなど(いずれも未発表)。
 97年、再度、自費出版にトライした。95年9月からのタクシードライバーでそこそこに稼いだので、それを全部、出版につぎ込んだのである!
 そうして、97年の秋、『フェイド・アウト』を刊行。

 やがて、99年11月にパソコンを入手。創作はパソコンで行うようになった。
 01年にホームページを開設し、創作を続ける。これまでの自作を反省し、もっと分かりやすい、手の届きやすい作品作りを心掛けた。創作の舞台を、東京ではなく、生まれ故郷の富山に。
 といっても、18歳で富山を離れたので、子供の頃の富山を舞台にするしかなった。
 ガキの頃の自分をイメージし、ただし、あくまで創作にこだわって書いていった。

 オレもの、ボクものを数多く書いたが、創作の源泉はあくまで子供の頃の自分である。実話は書かない。思い出話も書かない(実話はエッセイあるいはドキュメントで書く)。
 さて、08年の初春に帰郷して、いざ、富山の地に居ついてみると、富山にまるでなじめない。子供の頃の友達とは疎遠だし、子供の頃の風景は今はない。帰郷しても、決まりきった生活で、富山に根付いたという気には到底、なれない。創作の源泉が見出せない。

 これは、富山において、好きな女性、焦がれる女性がないからだとも感じている。
 思えば、東京在住時代、一番、創作の熱が高かったころは、叶わぬ思いに焦がれる日々でもあったのだ。
 さて、富山に本当に土着するなら、やはり富山と寝る覚悟が必要だと思う。
 それなりに経験は重ねてきた。今一度、創作の源泉を掘り当てないと。

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コメント

毎日、10枚、
月に300枚、
やった人しか分からないと思いますけど、
ひたすら書きまくりましたね~。
そのペースは、僕には無理です!

自分の書き言葉で、頭が埋め尽くされた後は、
どうってこともない軽い小説を読んでも、
「なんて上手い表現だろう!」
と驚いたりしますw。
柔らかくて易しい言い回しほど難しいものはありません。
ついには、
気落ちして答える、気のない返事をする、頼りなく言う、
その程度の表現も探せないw。
そうなると、力尽きて、もう寝るしかないのですが。

それにしても、女心が分からない。
これは、探せないのではなく、
僕には、最初から持ち合せていないと言うべきで。
それでは、男しか、さらには自分しか出てこない話と同じですが、
叶わぬ思いに焦がれます。

>これは、富山において、好きな女性、焦がれる女性がないからだとも感じている。
自分と誰かの関係を、まじめに考えるきっかけなんて、
恋くらいしかないでしょう。
人が誰かのために何かを書く、
それだけでも、すでに次元が異なっているのかもしれません。

投稿: 青梗菜 | 2015/09/22 20:09

青梗菜さん

女心なんて、きっと一生、分からないのでしょう。
要は、焦がれる相手がほしいってことです。
東京在住時代のように。
富山に帰郷して、一切がぷっつり切れた。
富山にもいい女がいるのでしょうが、生活がルーティーン化している。
感性が鈍った。年を取ったということなのかも。

投稿: やいっち | 2015/09/24 21:44

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