ラヴェル「水の戯れ」から
一昨日だったか、閑の徒然にラジオに聴き入っていたら、素敵な曲に遭遇した。
遭遇だなんて、音楽的素養のある人には大袈裟な物言いかもしれない。
でも、野暮天の小生には、恐らくは初めてじっくり聴いた曲なのである。
← セシル・ウーセ(ピアノ)『水の戯れ』『鏡』『夜のガスパール』 (画像は、「Maurice Ravel - Jeux d'eau [CH] Classical CD Reviews- Oct 2002 MusicWeb(UK)」より)
それは、モーリス・ラヴェル作曲の「水の戯れ」。
噴水の水の戯れなのか、それとも、水面のさざ波の織り成す繊細絶妙な心の甚振りなのか。
ふと、小生には、「水辺の戯れ」(2012/09/17)なんて、題名だけは素敵な、その実、全く似て非なる世界を描いた妄想詩があることを思い出した……が、それより、むしろ、拙稿である「沈黙の宇宙に鳴る音楽」(2006/08/26)のほうこそ、ラヴェルの「水の戯れ」を聴いた時の印象に近いかもしれない。
途切れ途切れの音の連なり。でも、一旦、曲を聴き始めたなら、たとえ中途からであっても、一気に音の宇宙の深みに誘い込んでくれる。たとえば、何処かの人里離れた地を彷徨っていて、歩き疲れ、へとへとになって、喉が渇いたとき、不意に森の奥から清流の清々しい音が聞こえてくる。決して砂漠ではないはずの地に自分がいるのは分かっている。木々の緑や土の色に命の元である水の面影を嗅ぎ取らないわけにいかないのだから。
でも、やはり、水そのものの流れを見たい。体に浴びたい。奔流を体の中に感じたい時がある。
やがては大河へ、そして海へと流れていく川の、その源泉に程近い、細い清水。
まるで、自分の中に命があったこと、命が息衝いていることを思い出させてくれるような川のせせらぎ。何も最初から最後まで通して曲を聴かなければならないというものではない。むしろ、渇いた心と体には、その遭遇した水辺こそが全てなのだ。その水際で戯れ、戯れているうちに気が付いたら水の深みに嵌っていく。
そのように、闇の宇宙の中を流れ行く音の川に出会うのだ。誰しも、音の宇宙では中途でしか出会えないのだし、束の間の時、音の河を泳ぎ、あるいは音の洪水に流され呑み込まれ、気が付いたら闇の大河からさえも掻き消されていく。
ふと、いつだったか、自分が書いた一文を思い出した。
モーツァルトの曲の与えてくれる至福の音の世界とはまるで違う世界だとは重々分かっているのだけれど、連想してしまったものは仕方がない。(中略)
それでも、我が身に抗(あらが)ってまでも、宇宙の豊穣を感じ取りたい。その豊かさの一滴をでも我が身に沁み込ませたい。肌の潤いの喪失に恐怖し始めた女性が、何かの栄養乳液を顔に肌に塗り込む…。ちょうどそれを音の世界で試みているようなものか。
闇の宇宙で音の欠片を掻き削ろうとする。ダイヤモンドダストの彷徨い漂う宇宙。音という闇の世界の真珠たちから削られ粉塵となったはぐれモノたちが分散し、あるいは集合する。気が付いたら闇の清流を、そして闇の大河を形成していく。見えるはずもない闇の河。奔流の奏でる音。音でありながら、決して耳に聞こえるわけではない。沈黙の宇宙なのだ。音の伝わる媒質自体がない。
音は、宇宙という空間で、あるかなきかの物質に寄り添う。孤立したモノたちの奏でる孤立した、他に伝わるはずもない悲しみや喜びの響きなのである。
そうした、目にも耳にも肌にも感じ取ることのできない音という玉を誰かが拾い集めている。細い透明な糸で紡ごうとしている。繋げ結びつけようとしている。仮に糸が短くて結合が叶わないなら、せめて、それぞれの窓のないモノたちを遠目に眺め、あるいは心に思い浮かべて、ちょうど星座を夜という闇の海に読み取るように、それぞれが孤独なモノたちを、音の原石たちを、あるはずもない糸で結びつけて、音の星座を織り成す。
音の雫がおちこちの軒先の庇に一滴また一滴と落ちている。掻き削られたダイヤモンドの欠片たちが闇に自光する。瞬時の輝きを発する。
あと、自分ができることといえば、瞬時の煌きを決して見逃さないことだ。沈黙する宇宙の音楽を聞き逃さないことだけだ…。(「沈黙の宇宙に鳴る音楽」(2006/08/26)より)
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