あまりに貧弱な夢ばかり
あまりに分かりやすすぎて、夢の中身より、その分かりやすさに愕然とする。
奇妙な夢というのは、自分でも全く生活の中に夢の源泉を見出しがたいというもの。
例えば、今朝など、バスか電車に乗っていたら(仲間あるいは知り合いと)、そこへ見知らぬ夫人がやってきて、赤ん坊を抱いてみろと、赤子を私に預ける。
小生は子育ての経験はない……だけじゃなく、赤ん坊を抱いた経験自体、ほとんどない。思い返してみても、昨年だったか、親戚の家で待望の子供が誕生し、親戚の家に行った際、抱かせてもらったのだが、自分の抱き方のぎごちなさに、親戚の者も、まして親たちは一層、見るに見かねて、すぐに子供が引き取られていったものだった。
でも、それだけのことで、心にトラウマになるほどの出来事ではなかった。
← 家の裏の車道添いの花壇に植えた三重かなめ。窓と同じ高さまで育ってきた。夏場はグリーンカーテンに。
夢では、男児(だったと思う)は、私の腕の中で、居心地の悪そうにしていた。男児をうまく抱いてやっていないので、男児は機嫌を損ね、今にも泣きそうである。ああ、泣かないでくれ…私は(あるいは赤ん坊以上に)祈るような気持だった。
でも、赤子は泣かない。ただ、懸命に体勢を変えようとしている。体をひねり、向きを変え、やがて最初とはまるで逆の方向に頭を向けた。それでも、抱き心地の悪さに不快の念を覚えているのは、だれが見ても分かる。
ああ、どうしたらいいんだろう……。
そのうち、母親が見るに見かねて私から赤ん坊を引き取ってくれて、ようやく安心したのだった。
そういえば、つい先日だったか、夢の内容はほとんど忘れたのだが、どこかの狭い場所に押し込められていて、窮屈さを懸命に堪えている、という筋の夢を見たこともある。
その時は、目が覚めたら、リクライニングの中で体を窮屈にしていて、この苦しさが夢に現れたのかなと思える。
赤ん坊を抱かせられた夢では、目覚めたとき、同じくリクライニングに体を深く埋め、且つ、おなかには重たい本(ロベルト・ポラーニョの『2666』という訳者あとがきを含めると860頁以上の大判の本!)を抱きかかえたままに寝入っていたことに気づく羽目になったことが思い出された。
夢では本ではなく、赤ん坊にすり替わっていた、ということのようだ。分かりやすい。
→ 上掲の三重かなめの足元に咲いた花。
うーむ。こうしてみると、分かりやすい夢ばかりだ。
年のせいか、寝室のベッドで寝ても、数時間で目覚めてしまうので、茶の間に場所を移し、リクライニングに体を沈めて、真っ暗な中、枕頭というか、頭のあたりにある電気スタンドの灯だけを灯して、本を読む……すると、数頁も読み進まないうちに睡魔の襲来が吾輩をあっさり夢の世界へと浚っていくのである。
夢に窮屈な場面などが多いのも、むべなるかな、である!
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