夢にテレビ番組の影響が
夕べというか、目覚めたとき真っ暗だったので、あるいは 未明だったかもしれない。
また、奇妙な夢で目覚めた。
動物に絡む夢。女でないのが残念。
目覚めた瞬間、夢の大半は潰え去った。最後の場面が辛うじて、記憶の片りんとして残っていただけ。
(夢では、何か長い前段の場面があったようだが、忘れた。いつしかオレは)どこかの部屋、あるいは檻を目の前にする空間にいる。
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夕べというか、目覚めたとき真っ暗だったので、あるいは 未明だったかもしれない。
また、奇妙な夢で目覚めた。
動物に絡む夢。女でないのが残念。
目覚めた瞬間、夢の大半は潰え去った。最後の場面が辛うじて、記憶の片りんとして残っていただけ。
(夢では、何か長い前段の場面があったようだが、忘れた。いつしかオレは)どこかの部屋、あるいは檻を目の前にする空間にいる。
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この数日、旧作の数々を読み返す作業をしていた。
特に、『化石の夢』などに収めた作品は、思い入れだけは深い。
けれど、ツイッターでも呟いたのだが、「かなり生硬な表現。技術が磨かれていない。観念ばかりが先走っている。あるかもしれない詩情が抽象的過ぎる表現に埋没している」という評言に尽きる。
当時、数年前から特に美術館通いでのテーマであった、抽象表現主義関連やアール・ブリュットの作家や作品の数々への思い入れ、さらには、素粒子物理学関連の著作を読み浸っての、生半可な知識に引きずられているのがあからさまである。
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アベ氏の強行する戦争法案。憲法無視で世界中で戦争に参加できるようにする。歯止め措置など一切ない。政府やアベ氏がやるといえば、戦争できる。
なぜ、そんなに焦っているのか。台頭する中国? 北朝鮮? 脅威の増すIS?
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今夏の異常に暑い日々も、ようやく峠を越したようだ。
お盆のころが一つのピークだったように、今にしてみると思えてくる。
← ロベルト・ボラーニョ 著『2666』( 野谷 文昭 やく /内田 兆史/久野 量一 訳 白水社) (画像は、「2666 - 白水社」より) 「現代ラテンアメリカ文学を代表する鬼才が遺した、記念碑的大巨篇」だとか。ラテンアメリカ文学は、依然として輝いている。今日から読み始めた。カバー画は、ジュール・ド・バランクール
熱帯夜で且つ気温35度以上という真夏日の続く日々、会社の乗務員の間で、タクシードライバーもクールビズでいいのじゃないかという声が澎湃と湧き上がってきた。
実を言うと、小生自身は、東京でのタクシードライバー時代、真夏であっても、ズボンや靴、ネクタイはもちろんだが、制服(上着)もずっと着用してきた。12年と3か月、ずっとである。
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なんだか、久しぶりに骨っぽい本を読んだ感があった。
なんたって、「天才をして「大学者」と言わしめたワイルは実際、かのヒルベルトの後継者としてゲッティンゲンに迎えられた」、そんな人物の講演録なのである。
← ヘルマン・ ワイル (著), 『精神と自然: ワイル講演録』 (ピーター・ペジック (編集) ちくま学芸文庫) (画像は、「Amazon.co.jp」より)
本人は終生、自分は数学者だという認識でいたが、その活躍や業績は数学のみならず、物理学にも渡り、同時に、彼の関心は、哲学にも及んでいた。
多くの数学者(や物理学者、広く科学者)は、哲学なんてまだるっこしいものは時代遅れか、理屈好きの、実際のサイエンスの発展には何ら資するところのないものと考えている(ようだ)。
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「美と知 新たな殿堂 富山市ガラス美術館/市立図書館 あす開館:」(富山:中日新聞(CHUNICHI Web))といったニュースというか情報は、富山市居住の小生、前々から知っていた。
← 『ジョージ・エリオット全集(5) ロモラ 』(海老根宏訳 彩流社 ) (画像は、「楽天ブックス」より)
その名は、「TOYAMAキラリ」で、富山市ガラス美術館と市立図書館本館(ほかに富山第一銀行本店も入っている)。ガラス建築ということで、キラリなのか。
一般開放は昨日の22日だった。
仕事の明けの日は腰が重く、動く気になれなかった。
幸い、今日23日は休み。休養は昨日からたっぷり。なので、午後、勇んで(?)見学に出かけた。
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小生はタクシードライバー歴が通算で16年目に突入している。
一応はベテランの域に入るのかもしれない。
一応は、というのは、東京でのタクシー歴が12年と3か月、富山でのタクシー歴が3年と半年、その合算なのである。
富山では、流し営業もあるが、無線配車が基本。というより、このほうが圧倒的である。
東京時代は、流しオンリーで、無線での配車は一度あるかないか、である。
流し営業にすっかりなじんでいる小生は、富山での無線仕事に戸惑ってばかりだった(今も)。
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昨日、暇の徒然というわけではないが、ラジオに聞き入っていたら気になる曲に遭遇した。
番組は、NHK-FMの『NHKクラシック トピックス:NHK | お知らせ | FM特集「吉田秀和が語ったベートーベン」』で、その第3回「ピアノ・ソナタ ~みなぎる実験精神」といったもの。
→ ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (画像は、「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン - Wikipedia」より)
紹介される曲はどれもじっくり聴き入りたくなるものばかりだったが、仕事柄、断片的というか、じっくり聞けたのは、ベートーヴェンの「ピアノソナタ第17番」だった。
クラシックにも疎い小生だが、さすがにこの曲は聞いたことがある。そうか、ベートーベンの曲だったのかと、改めてベートーベンを見直す気分で聞き入っていた。
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インドネシア中南部、スンバワ島にある成層火山であるタンボラ山が、1815年に大噴火を起こした。「過去2世紀に世界で記録されたもののうち最大規模」だった(「タンボラ山 - Wikipedia」より)。
← 「タンボラ山の山頂のカルデラ」 (画像は、「タンボラ山 - Wikipedia」より)。
「1812年から火山活動が始まり、1815年4月10日から同年4月12日にかけての大爆発音は1,750キロメートル先まで聞こえ、500キロメートル離れたマドゥラ島では火山灰によって3日間も暗闇が続いた。高さ3,900メートルあった山頂は2,851メートルに減じ、面積約30平方キロメートル、深さ1,300メートルの火口が生じた。この大噴火による噴出物の総量は150立方キロメートルにおよび、半径約1,000キロメートルの範囲に火山灰が降り注いだ。地球規模の気象にも影響を与えた」という。
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今年の夏も例年のように、本末転倒の日々が続いている。
帰郷して9年目の夏を迎えている。帰郷した年は、母はもう動けない体になっていた。父は、外出も可能な体だったけど、さすがに庭や畑仕事は無理。
自然、外仕事は小生の役割となる。
畑仕事など、したことがない。今までは全て父母らにまかせっきり。
そんな自分に畑の仕事はこうやると、お手本を示そうとしたのだろう、帰郷したその年の春、父が作業着になって、キュウリの苗を植える作業に入った。小生も手伝う。
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一昨日だったか、閑の徒然にラジオに聴き入っていたら、素敵な曲に遭遇した。
遭遇だなんて、音楽的素養のある人には大袈裟な物言いかもしれない。
でも、野暮天の小生には、恐らくは初めてじっくり聴いた曲なのである。
← セシル・ウーセ(ピアノ)『水の戯れ』『鏡』『夜のガスパール』 (画像は、「Maurice Ravel - Jeux d'eau [CH] Classical CD Reviews- Oct 2002 MusicWeb(UK)」より)
それは、モーリス・ラヴェル作曲の「水の戯れ」。
噴水の水の戯れなのか、それとも、水面のさざ波の織り成す繊細絶妙な心の甚振りなのか。
ふと、小生には、「水辺の戯れ」(2012/09/17)なんて、題名だけは素敵な、その実、全く似て非なる世界を描いた妄想詩があることを思い出した……が、それより、むしろ、拙稿である「沈黙の宇宙に鳴る音楽」(2006/08/26)のほうこそ、ラヴェルの「水の戯れ」を聴いた時の印象に近いかもしれない。
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クソ暑い日日の続く中、車中の友として選んだ一冊。
忙中閑ありという言葉がある。忙しいかどうかはともかく、息抜きに読む本が楽しみ。長く待たされることが往々にしてある仕事だが、そんな時間にこそ、本が御馳走なのである。
→ 数日前、出社しようと、車を庭先から出そうとしたその瞬間、この花の開花に気がついた。目線がちょうど、花と同じ高さだった。忙しさにかまけて、庭の雑草は伸び放題となっている。ただ、そのおかげで、ただの草の状態の段階で、これも雑草だとばかりに、毟り取られる悲劇を回避できていたのだろう。よくぞ、生き延び、花咲いてくれたものである。
東京在住時代も同じ仕事だったが、車中の友はラジオであり、音楽だった。
悲しいかな富山では、ラジオは聴く気になれないことが多い。
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純粋無雑なる時空に一本の線が生まれでた。
まるでそう導かれることが宿命づけられているかのように、迷うことなく、ある曲線を描いていく。
やがて現れ出てきたのは、紛うことなき天使。
← パウル・クレー「忘れっぽい天使」(1939) (画像は、「 名古屋市美術館 ミュージアムショップ」より) クレーについては、「【日本パウル・クレー協会】」など参照。拙稿に、「綱渡り師とオースターとクレーと(前篇) 」などがあります。
外界の喧噪など知らぬ気に、ひたすら内面を見つめる。
見つめている…のではなく、溢れ出てくる悦びを感じているだけなのかもしれない。
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暑い!
でも、、ここ数日の中では、やや過ごしやすい。エアコンを使うのも躊躇うような。
← 特別展「地球の結晶〜北川隆司鉱物コレクション~」(富山市科学博物館にて)
今は、ガブリエル・ガルシア=マルケス著の『落葉 他12篇』 を一昨日から読んでいる。
新潮社のマルケス小説集は全部、一度か二度は読んだのだが、この一冊だけ、手つかずのまま、温存してきた。このところ、やや歯応えのない小説を読んでしまったので、口直しに。
ちょっと休憩のつもりで、テレビをオンにしたら、富山市科学博物館にて開催の特別展「地球の結晶〜北川隆司鉱物コレクション~」の宣伝をやっていた。
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肉は煮え滾る鍋の中に。
視線と肉欲とのごった煮鍋。
眼窩は胃の腑に直結し、煮えくり返る腸が高嗤いしている。
→ 魲 万理絵(Marie Suzuki)作『全人類をペテンにかける』(制作年:2007年/素材:紙に油性ペン) (画像は、「境界線を溶かす芸術「アール・ブリュット」とは?~エシカル百科事典Vol.1~」より) 「アール・ブリュット」と呼ばれたりするけど、そんなことより、絵の迫力に圧倒される。
眼下の敵は誰だ。それはお前自身。
たらーりと溢れ零れる涙と汗と涎が、鍋の恰好の隠し味。
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連日の猛暑。もう限界である。寝室のエアコンが昨夏、故障していることに気付いたのだが、カネがなく、放置したまま。なので、今夏も、扇風機だけが頼りである。
← 武村 政春【著】『巨大ウイルスと第4のドメイン―生命進化論のパラダイムシフト』(ブルーバックス) (画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)
そんな酷暑の今日、一週間ぶりに畑の野菜を収穫。ナスにキュウリにトマト。いずれも、またまたありあまるほど収穫があって、嬉しい悲鳴。
トマトもナスもキュウリも、収穫が数日、遅くなったため、大きくなりすぎて、成長し過ぎのキュウリや、ちょっとでも傷のあるトマトは大胆に廃棄処分に。
その後、数年来の懸案を一つ、ようやく片づけた。
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暑い日々が続いている。35度以上は当たり前! なんて、異常だろう。
昔のことを言っても仕方ないが、ガキの頃は、30度を超えると暑く、時折、32度とか33度の日がある程度だったと思う。
→ アーサー・ラッカム 「イギリスの挿絵画家。特にメルヒェンやファンタジーの挿絵で知られている」。 「アーサー・ラッカム - Wikipedia」参照。名前は知らなくても、彼の絵は、一度は何処かで目にしているはず。
それでも、暑い夏だったと印象付けられているが、今はまさに猛暑だ。日盛りの頃合いに外に出ると、文字通り、ジリジリと焦げるような暑さを感じてしまう。
アスファルトの上だからなおさら、気温は高くなる。
東京など、一部の地域で、打ち水を町内などで一斉にする光景がテレビで伝えられたりする。
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今日は休みだったのだが、組合の会議があり、出社し、代議員会議を委員長として主宰。
議論百出だったが、業界の厳しさが色濃く反映された会議でもあった。
← ニコラス・ローズ:著『生そのものの政治学 二十一世紀の生物医学、権力、主体性』(檜垣 立哉:監訳, 小倉 拓也:訳, 佐古 仁志:訳, 山崎 吾郎:訳 叢書・ウニベルシタス 1017) (画像は、「法政大学出版局」より)
会社は、ドンドン乗務員を増やしている。配車の都合、営業の都合もあって、台数(乗務員)の数をできるだけ増やしたい、遊んでいる車はできるだけ減らしたい…。
一方、仕事やニーズがこの不景気の世の中、しかも、地域の車の数が多すぎる現状にあっては、つまりは、限られたパイを乗務員同士が喰いあう結果になる懸念は大である。
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→ Warwick Goble(22 November 1862 – 22 January 1943) 作「Sita finds Rama among the Lotus blooms」 英国の妖精画家。「はるかな世界を描いた英国の画家 Warwick Goble camarade」なども参考になる。このブログによると、東洋趣味が流行っていた頃、花咲か爺さんなど、日本の昔話なども絵のテーマに選んでいたようだ。アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)ほどには、様式美的に洗練されているとは言えないが、でも、好感を持てる画風ではある。こうした画家がお好みなら、アーサー・ラッカムもきっと気に入るだろう。「Warwick Goble - Wikipedia」や「Art Passions Fairy Tales - Fairies and Fairy Tale Art illustrations」など参照のこと。最近、著作権の保護期間が切れたようだ。
赤坂真理 著の『東京プリズン』(河出文庫)を読み始めた。寝床で読むつもり。日中は、分厚い(重い)本を読んでいるので、寝床で読むには辛く、それではと、文庫本である本書を選んだ。
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