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2015/07/24

村上訳で『フラニーとズーイ』を読む

 木曜金曜と連休だった。いろいろ溜まっている雑用が家にあるので、一つでも片づけたかったが、生憎、木曜はザーという週日の雨。

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← サリンジャー 著『フラニーとズーイ』 (村上 春樹訳  新潮文庫) 村上春樹による新訳ということで入手。今日から読み始める。本作品は、読むのは初めてのはず。さて。……と、木曜金曜と、連休だったので、一気というわけではないが、本夕までに読了。さすが村上春樹のおめがねに叶う小説だけのことはあった。「〈村上春樹 特別エッセイ〉こんなに面白い話だったんだ!(全編)|村上春樹『フラニーとズーイ』|新潮社」にて、村上春樹の手になる、特別エッセイ〉「こんなに面白い話だったんだ!」を読める。 

 出掛けることも、庭や畑仕事もできない。代わりに、近々母の命日なので、掃除をした。フロアーモップで、玄関から廊下、寝室、茶の間、居間、台所と一気に。
 結構な運動になった。でも、奥の座敷や仏間、さらに奥の居間など(屋根裏部屋は言うまでもなく)は省いた。

 掃除機で掃除することも考えたが、古い掃除機なので、量的には埃を吸ってくれるだろうが、同時に細かな塵埃は排気口が噴出され、舞い上がり…なんて考えられるので、この頃は、掃除というと、モップ掛けと決まっている。
 さて、今日はというと、朝方はざっという雨が降ったものの、その後は曇りのち晴れで、気温もぐんぐん上昇し、雨でやや過ごしやすかった今朝までの陽気はウソのような暑さに逆戻り。
 連休の間に雑用を済ませたかったが、昨日は掃除なら、今日は買い物。メインは、老眼鏡の購入である。ついでに、百円ショップで、歯間ブラシやら額縁(気に入りの絵画を収めて飾るつもり)、ノート(仕事の際のメモ用)、画鋲、グラス(命日などの客用)、などを買ってきた。
 その足で、書店へ行こうと思っていたのだが、時間がなくて、今日は断念。
 
 時間。それはサリンジャー 著『フラニーとズーイ』 (村上 春樹訳  新潮文庫)のために費やされた。
 過日来、ニコラス・ローズ:著『生そのものの政治学 二十一世紀の生物医学、権力、主体性』(檜垣 立哉:監訳, 小倉 拓也:訳, 佐古 仁志:訳, 山崎 吾郎:訳 叢書・ウニベルシタス 1017)を読んできているのだが(車中ではプルースト)、せっかくの連休なので、上掲書を読むことに費やそうと思ったのだ。
 そして、それは大正解だった。
 ツイッターなどには、以下のような簡単な感想を書いた:

 一度読んだものは、一言一句をそらんじる天才の兄と妹。そんじょそこらの連中には理解不能な世界で、誰に導かれることのない迷い道を孤独に彷徨う。母に諭される形で、兄が迷い道の真っただ中に居る(兄も通りつつある道にいる)妹を何とか救い出そうとする。
 その懸命の前代未聞の対話(ここがクライマックス)を通して、妹だけじゃなく兄も闇の世界に幽かな光明を見出すところで小説は終わる。村上訳は素晴らしい。 思うに、村上氏が推奨する日本の小説を、村上氏流のアレンジで読み返してみたいもの。

 小生自身は凡庸な人間だが、知り合いには知的に非常に優れた方がいた。秀才タイプ、独特の際立ったセンスの持ち主、異常なほどに繊細で且つ頭脳明晰な人。
 彼らと居ると、凡俗な小生は眩暈がするような気がしたものだ。同時に、自分が拙い言葉で不器用に喋ったことでも、彼らの高い理解力でこちらの意図する以上のところまでフォローしつつ応じてくれるので、まるで自分までもが優秀なのかと錯覚することもしばしば。

 ホント、錯覚にすぎないのだ。
 というのも、逆は真ならずで、小生は彼らの言わんとすることを十分の一もフォローできない。会話の場に居ても、一人取り残されていく。
 一体、そうした頭脳の優れた連中はどんな世界にいるのだろう。せかいをどう、観ているのだろう。

 どんなに揣摩臆測を逞しくしても、想像の外である。
 若い頃は自分なりに背伸びしても、齢を重ねるごとに、漸近線がドンドン広まり遠ざかって行くように、小生がどんなに頑張っても天才たちの世界からはひたすら置き去りとなるばかり。
 そんな天才は、身近にはそう仲間や同類を見出すこともできないだろう。悩みはドンドン孤独、孤高を極めるばかりだろう。

 さて、村上氏によると、「この小説の「宗教臭さ」については正直なところ、今読み返してみてもいかんともしがたいところがある」というが、小生は気にならなかった。宗教臭さは、当時のロック臭、ジャズ臭、ポップアート臭、薬物臭、政治的反逆臭、退廃臭などと共に、まさに時代臭なのだ。
 本作は1955年ごろの作品。まさに米ソを中心とする冷戦構造の始まりつつある時代。
 アメリカから見て、ソ連は共産主義の国であり、宗教の禁止された国。自由のない世界。
 一方、アメリカは自分たちの国を自由の国であり、物質的に成功している体制なのだと自負している。宗教も音楽も芸術も自由。ドラッグに塗れる自由、セックスに溺れる自由、何でもありの自由の大国。精神主義も過剰に享受していて、ありとあらゆる宗教や教祖、信条が入り乱れて横行していたのだ。
 冷戦構造が崩れるまでは、過剰な精神主義、物質的豊かさの謳歌主義は、恐らくは政治的な思惑もあって、国が意図的に蔓延させていたのだろう(若者を中心に、相当の犠牲を払って)。

 この小説を読むと(一昔前の小説の多くのように)、煙草を吸う場面が実に多い。十代でも葉巻をくゆらす。
 ドラッグに溺れる連中が周りに多かったのだろうと容易に想像される。
 この小説のクライマックスの対話のシーンでも、煙草(葉巻)を手にする場面の実に多いこと。
 一昔前の映画に煙草を燻らすシーン、煙草を投げ棄て、靴底で踏みにじるシーンが多かったように。
 タバコと酒とギャンブルの、煙濛々たる閉鎖空間。

 タバコは、作品の出来不出来に関係なく、重要な小道具だった。
 実際、若い頃は小生も喫煙派だったが、喫茶店、煙草、音楽、酒が常識的な小道具だったものだ。
 
 そんな時代背景を別にしても、本小説は面白かった。実に印象に残る小説だった。近いうちに、未だ読んだことのない(多分)、『ライ麦畑でつかまえて』を読んでみたいものである。

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コメント

読みたい!
村上春樹はいいですね。
昔から好きでした。
比喩の妙を私に教えてくれた作家です。
ところで、優秀な人はこちらの周りにもいます。
彼らの聡明さと自分の凡庸さを比べると、隠れたくなっちゃいますよ。
ああ、賢くなりたーい!

投稿: 砂希 | 2015/07/25 21:55

砂希さん

村上さんの小説もいいけど、彼が訳した小説もいい。
村上 春樹さんの訳で最初に読んで気に入ったのは、レイモンド・チャンドラー作の『ロング・グッドバイ』です。
彼の鑑識眼を信じて、ドンドン、未知の作家の本を読みたいです。

頭のいい人っていますね。ちょっと勉強したら、すぐにトップ。
こっちは何度も何度も復習して、やっと平均点だというのに。
でも、頭がいいってことは、凡人には気がつかない心配事が想像以上に常に抱えるってこと。
記憶力の凡庸な人間なら、嫌なことがあっても、時間が解決してくれる。
でも、頭のいい人は、ずっと覚えている。
嫌なことには、頭のいい人だって、降りかかることは避けられない。でも、いつまで経っても心の疼きが止まない。
そんな嫌な悩みの種がドントン、積み重なっていくってことです。
なので、開き直りかもしれないけど、平凡が一番だと思っています。

投稿: やいっち | 2015/07/27 22:23

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