深井克美 あるいは 愚よ、愚よ、汝を如何せん
我が畏敬の対象である、小林孝至(たかゆき)さんの「絵画錬金術師ドクターカオス(@takayuki419)さん Twitter」を眺めていたら、なんと深井克美の世界が紹介されていた。久々の再会。
→ 「1976 2時37分」 (画像は、「~ 命を削って ~ 深井克美の描く世界 漂えど沈まず、風に訊け つれづれがたり」より)
もっとも、本ブログにて、昨年、「ダーウィンやら深井克美やら台所やら」(2014/09/24)なる拙稿を書いている(ただ、その時は、さっと触れているだけ)。
ただ、彼の世界に初めて出会ったのは、三十年ほども昔。東京で各地の美術展を観て回り、美術関係の情報を熱心に摂取していた頃のこと。
出会いは衝撃的だった。
← 「1977 オリオン」 (画像は、「~ 命を削って ~ 深井克美の描く世界 漂えど沈まず、風に訊け つれづれがたり」より)
深井克美作品の多くは、人物像であり、しかも、大概が人物像が重なっている。ルシアン・フロイドのように、それともベクシンスキーの描く人物像のように歪んでいる。あるいは、フランシス・ベーコンに似ているとさえ、云えるかもしれない。抱き合う像もあるが、像が二重映しになっていたりする。
あたかも、どんな孤独な命も、一つ単独では成っておらず、自分の…あるいは親や子の…それとも愛する人憎むべき人の像や魂にしがみつき、抱かれ、まとわりつかれ、縋り付いてやっと生きていると云わんばかりである。大地さえ、干からびて剥がれ落ちた肉片や表皮の積み重なりであり、それはこれまでに死に果てた無数の命の成れの果てたちの堆積に他ならない。
→ 「旅への誘い」 (1975) 深井克美 (1948 - 1978) (画像は、「Invitation to the trip 旅への誘い (1975) 深井克美 (1948 - 1978) 深井克美 Fukai Katsumi Pinterest」より)
純粋無雑なる命など、この世に存在しない。生まれたての命さえ、この世の光を浴びた瞬間から、数知れない細胞たちが朽ち果て、死に絶え、他の細胞の餌食になり栄養になり、消え果ていく。
まして、いびつに生まれた命など、一つの命ですらない。一個なのに、引き裂かれ肉を剥がれ、骨を砕かれ、歯は血まみれになって路上に散乱し、目ん玉が飛び出て、それは滑稽極まりない惨状である。
体の方々が勝手に生きんとして喚きたてている。こころより血肉が沸き立っている。
一個の肉体のはずが、それこそ幾多の噴火口を抱えた若き月の有様だ。血肉が噴き出している。ホント、噴き出しそうだ!
← 「1974 サイキ」 (画像は、「~ 命を削って ~ 深井克美の描く世界 漂えど沈まず、風に訊け つれづれがたり」より)
お前のことは、何かのギャグだったのか。神様の慰み者だったのか。
何処かで誰かが哄笑している。
ああ、愚よ、愚よ、汝を如何せんって言う、その高笑いが此の世にまで聞こえてきそうじゃないか!
参照:
「ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)」
「ダーウィンやら深井克美やら台所やら」(2014/09/24)
深井克美作品の多くは、北海道立近代美術館に収蔵されている。常設ではないようだが。
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