夕暮れ時はさびしそう…どころじゃなかった!
今朝、キュウリを2本、収穫。一昨日、3本収穫し、浅漬けにしたが、もうなくなるところだったので、早速また浅漬けに。明日か明後日には食べごろになるだろう。
← ロジャー・イーカーチ【著】『失われた夜の歴史』(樋口 幸子/片柳 佐智子/三宅 真砂子【訳】 インターシフト) (画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より) 裁判資料などの文献資料がふんだんに踏まえられている。
ナスのほうは、一昨日、3個収穫したのだが、今日は未だ生っていない。
トマトのほうは、黄緑色の実がいっぱい生っている。植物の生長の速さに圧倒される。
数日前から薬を日々飲む人間に変わってしまった。で、気がついたのは、飲み忘れの多いこと。
未だ、薬漬けの生活習慣が身に付いていないから…という言い訳はできるが、しかし、飲み忘れは、在りがちなんだなと自覚させられたものである。
さて、読書のほうはボチボチ。相変わらず牛歩。まあ、今さら急ぐ理由もないのだが、読みたい本が目白押しなのは辛いし困る。
一昨日、オリヴァー・サックス著の『色のない島へ―脳神経科医のミクロネシア探訪記』を読了した(小生は文庫本で読んだ)。
その繋がりというわけではないが、代わってロジャー・イーカーチ著の『失われた夜の歴史』に手を出した。
テーマ的につなげて読む本を選んだわけではない、が、何処かテーマ上、関わっているようでもある。小生の関心で読むのだから、無縁ってことはありえないとしても、何処かしら流れで読んでいるのかもしれない。
さて、オリヴァー・サックス著の『色のない島へ―脳神経科医のミクロネシア探訪記』では、特に後半は、ソテツの島へ、ということで、舞台はグアム島だったりロタ島だったりする。
本書の中で、旧日本軍がグアム島で、結構、非道なことをやっていたことを改めて縷々読むことになった。
スペイン人に虐殺され、ドイツに支配され、アメリカに、次いで日本(軍)に支配され虐待された島民たち。
グアム島は、日本軍とアメリカ軍との凄惨な戦闘に焦点が合いがちだが、日本軍の島民への蛮行ぶりも忘れてはならない。
→ 夜半。富山市西町の光景。人影が一つもない。これが富山一番の繁華街の惨状。地方都市の夜は早いというけれど、あまりに淋しい。
「グアムには日本軍の予想した兵力の半数の米軍もおらず、日本軍は上陸からたった1日でグアムを占領することができた」。
「グアムはほとんど無抵抗で日本軍に占領された」のだったとしたうえで、サックスは以下のように続けている(転記文中の「チャモロ人(チャモロ族)」とは、「ミクロネシアのマリアナ諸島の先住民」である):
日本による占領の下で、島民は大変な困難を強いられた。その悲惨さはスペインによる中南米支配に匹敵するものだ。多くのチャモロ人が殺され、あるいは拷問を受けたり軍用労働に駆り出された。そして多くの島民が村や畑を捨てて丘やジャングルへ逃げ、何とか日本の支配を逃れて暮らそうとした。家族や村は離散し、畑の作物や食料は奪われ、飢饉が起きた。少なくとも二〇〇年間、ソテツの実は島民の重要な食料だったが、いまや一部の島民にとっては口に入るほとんど唯一の食料となっていた。戦争の終盤、特に日本の敗戦が避けられず、まもなくアメリカ軍によって島が「解放」されることが明らかになってからは、さらに多くのチャモロ人が無残に殺された。このように戦争中ひどく苦しめられたチャモロ人は、上陸したアメリカ兵を歓呼の声で迎えたという。
さて、オリヴァー・サックス著の『色のない島へ―脳神経科医のミクロネシア探訪記』は、「色覚のない人々の驚くべき視覚生活とは?先天性全色盲、原因不明の神経病―特異な風土病とともに生きる人々の姿を感動の筆致で描く医学エッセイ」といった本で、主題の色覚異常もだが、後段のソテツの話が実に面白かった。いつか、特集を本ブログで試みたくなる。
ロジャー・イーカーチ著の『失われた夜の歴史』は、「私たちが忘れてしまった、夜の魅惑と恐怖を初めて描き尽くした傑作」とかで、「夜を暗闇が支配していた時代、悪魔などが跋扈する一方で、自由を求める人々は夜に解き放たれた。文学・社会・生活・心理・思想・魔術―「失われた夜」の全貌がよみがえる」とか。
まだ読みかけなのだが、まず、驚いた視点は、夕焼け(夕暮れ・日没)の光景への人々の思い入れの今昔の違いである。
我々は多少なりとも感受性のある人は、夕景は朝焼けの光景に劣らず郷愁の念に駆られる、心かきむしる眺めと感じることだろう。
← オリヴァー・サックス【著】『色のない島へ―脳神経科医のミクロネシア探訪記』〈大庭 紀雄【監訳】/春日井 晶子【訳】 早川書房)
が、本書によると、朝日の上がる頃合いの光景は、希望だり安全・安心であり、一日の始まりであり、まさに暗黒の夜を無事に生き延びた安堵の念であり、同時に日常の始まりの時だった。
では、夕焼けはというと、照明が高価で貴重だった時代においては、それは暗黒の魔が支配する恐怖(と伴って昼間は許されなかった自由の念が爆発する)刻限であり、多くは強盗などの犯罪の跋扈する時間帯の始まりでもあった。
なので、郷愁の念など論外だったという。
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